志苔館

五稜郭に行った後、ホテルをチェックアウトし、荷物を持って今回最後の訪問地、志苔館に向かいました。箱館駅からバスの旅。しかも、続百名城なので、知名度も若干少なめ…行き方が分からず、バスを降りてからしばらく右往左往してしまいました。 この志苔館は、津軽方面で南北朝の戦いに敗れた南朝方の武士たちが、蝦夷地に逃れて移り住んだ場所のひとつのようです。その後、アイヌの蜂起により、道内各地の館が次々と落とされていったようです。 志苔館の主、小林氏はコシャマインの戦いで亡くなったとか。ここでは、コシャマインの戦いで亡くなった、小林氏一族のほか、和人殉難御霊、阿伊努(アイヌ)悵魂御霊双方を同一座で祀っているとのこと。(石崎地主海神社様)逃れてきた南朝武士と、この地に住むアイヌの間で、どのような諍いがあったのか、知る由もないが、どちらも一緒に祀られていることに、少しだけ心が慰められる。 土塁と薬研堀からなる、自然の地形を生かした、原始的な館跡という感じ。すぐ近くまで海が迫っていて、風が強いけれど、不思議に落ち着く場所だった。 14世紀末から15世紀にかけて存在していた建物の跡は、発掘され、遺構が杭で表現されている。正面が建物のあった部分らしい。 あまりにも荒涼としているので、30分くらいしか滞在できなかった。で、ここから函館空港に徒歩で行けるはず…という今回の旅最大の冒険に出ることに。 地図上、ここは繋がっている(たぶんトンネル)という場所があり、問題は、ここを徒歩で通れるかどうか。通れないと信じられない…

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品川台場

日本百名城を中心に城廻りをしているが、途中から続百名城のスタンプラリーもスタートしたので、並行して(あくまでも百名城がメイン)廻っている。特にノルマを決めてはいなかったが、調べてみると、年に二城は訪れているようなので、今年も二城は行かなければ…という気持ちになり、近場の「品川台場」を訪れることにした。 クリスマスイブの土曜日に、一人お台場に行く勇気を褒めてください お台場のデッキは、既にカップルで埋め尽くされていたが、ここまで回り込むと、家族連れなど、穏やかな空気が漂っている。しかし、良い天気ですね。 この辺は、お台場海浜公園の一部で、自由の女神像などは、海上バス発着所の向こう側にある。この辺は、砂浜が広がる「おだいばビーチ」エリア。ぐるりとビーチを回り込んで、目的の「台場公園」に向かう。お天気がいいだけでなく、気温もまずまずだったので助かった。 海鳥がたくさんいました。これは、ゆりかもめですかね。たくさんいました。可愛い&人に慣れてます。近づいても、全然驚かない。 お台場海浜公園から、張り出した出島のような「台場公園」に入ります。この台場公園は、もともとは埋め立てによって造られた浮島「第三台場」だったものを、都立台場公園として、歩いて渡れるようにしたもの。 なにやら、壊れた石の円筒がありましたが、特に記載はありませんでした。なんだろう こちらは、ものすごい逆光ですが、かまど跡。昭和3年に台場公園が開園した時に設置された大谷石製の八角形のかまどとのこと。当時はバーベキューとかやれ…

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白石城?

初めて参加する「真剣乱舞祭」の前に、城に寄ってアウェイ感を払拭しようと思い、仙台城には何度も行っているので、白石城に行くことにしたのですが…宮城県といえば、今年大きな地震があったはず…と、JRのチケットを買う前に城のHPを見て、被害による工事等の記載がないことは確認していたんです。とはいえ、一度チケットを買ってしまってからは、HPを見ることもなく…白石蔵王駅(新幹線で仙台のひとつ前の駅)からタクシーに乗った時、運転手さんから聞いて、初めて復旧工事していることを知りました…HPの更新できないほどバタバタしていたのか、工事の日程がその後決まったのか…いずれにしても、震度6の地震ですもんね。仕方ありません。 タクシーを降りたら、もう、こんな感じです。いきなり、城ここ、白石城は、伊達政宗の家臣、片倉小十郎景綱の城、という風に宣伝されているが、そもそもは、豊臣の時代に、秀吉が、伊達家の支配下にあったこの地方を没収して蒲生氏郷に与え、氏郷の家臣が築城して城主となったのが始まりとのこと。その後、上杉領となり、こちらも上杉家家臣が城主となる。で、関ヶ原の直前に伊達政宗がこの地を攻略して伊達領とし、家臣の片倉に与えたってことらしい。政宗さん、根に持ってたんですね。 大手一ノ御門。激しく工事中でした。 工事していないところも、石垣の辺りは、コーンに囲まれていました。たぶん、この辺が、二ノ御門だと思われます。 こちらが本丸跡。天守の真下が本丸という位置関係です。 む…無念…これは修復なった…

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小倉城

最終日は、遠出しようかとも思ったが、お昼くらいまで福岡にいたので、その後、新幹線で小倉に行き、小倉城へ。 あら、こんなところにも、ふくやさんが。前日まで、「羽世保スウィングボーイズ」で博多華丸さんが、ふくやさんの明太子を持って登場するのを観ていたので、(というか、2年前には、ふくやさんをモデルにした「めんたいぴりり」を観まくっていたし) 小倉城は、JR小倉駅から徒歩10分くらい。平城なので、さくさく街中を歩いている間に到着。 小倉城…なんでこんなに、でかい石があるん石垣フェチとしては、いきなり、テンションが上がる光景。江戸城レベルの巨石が、次々に現れて、はくはくしちゃいました巨石、ばんざい 小倉城は、そもそもは、中国の毛利家によって築城されたのが始まり。でも、本格的に城下町も含めて大規模に築城されたのは、関ヶ原後、細川忠興によって。ただ、九州各地の街道の起点であり、関門海峡の先に中国を睨む要所、ということもあり、細川家は熊本に転封、譜代の小笠原家が入封することになる。小笠原家は、礼法の基礎を築いた家柄。そういうことからか、城には、茶筌塚、筆塚、花塚が。 茶道では、小笠原古流・千家表・裏流をはじめとする小倉市茶道協会有志による、茶筌塚。 筆塚については、昭和40年に文化の振興を祈念して建立されたみたい。筆塚の文字は、小笠原藩の名書家、下村薫村の筆跡だそうです。 花塚は、北九州いけばな協会の前身団体によって建立されたそう。 競い合うように、隣り合って塚が立っていて面白い さて、天…

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福知山城

大河ドラマの主人公、明智光秀の築城した福知山城に行ってきました ゆうひさんの舞台を観た後、阪急電車で宝塚まで行き、JR線に乗り換え、篠山口駅まで行って宿泊、翌日、福知山線に乗って、終点の福知山駅まで一時間の旅。車内には、大河ドラマ「麒麟がくる」のビジュアルを利用したJR西日本の吊り広告が。 実は、福知山に行く途中、“黒井”という駅名を聞き、調べてみたら、黒井城(これも光秀関連の城)の最寄り駅。一瞬、途中下車しようかと思ったものの、天候を考えて自重(黒井城は山城なので、雨天の登城は無理) さて、福知山城は、JR福知山駅から、徒歩15分くらい。あいにくの雨だったこともあり、静かな訪問となりました。 こんな風に、「明智光秀が築いた城下町」アピールが激しい… 10分ほど歩いていると、前方に見えてきました。何度経験しても、このウキウキしちゃう感じがたまらない。少し早足になったりして。 福知山城は平山城なので、到着するまでは平地。でも、城に着いたら、わりと急勾配になる。石段の城が多いが、福知山城は、坂道だった 見上げると、石垣が迫ってくる。 ここで撮影したのは、ここで読まれた一句が表示されていたから。「秋天を蹴り上げてゐし城の鯱」見上げたら、本当に蹴り上げてた。案内看板的なものが、どれも、センスいいなぁ~(この写真は、クリックしたら、大きなサイズで表示されるようになってます。) ひぃひぃ言いながら、坂道を上りきると、いきなりの天守閣福知山城は、城郭のすべてが残されているわけではなく、昭和…

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大垣城

久々の城です!関西に遠征することになったので、途中下車して大垣城に行ってきました。今年は、関ケ原から420年。もしかしたら、天下分け目の戦いが行われるかもしれなかった大垣城を見てみたい…そんな気持ちで。 大垣駅から、徒歩7分くらい…のはずが、めっちゃ住宅街で、ちょっとグーグルマップ様を疑い始めた時… なんとなく、城っぽい柄の橋の紹介板。おそらく、この下を流れる川が、大垣城の堀になっていたはず。よし!と、気合を入れる。 おおー、ありました!この日常的な、日常的すぎる風景の向こう側に天守閣が! 大垣城は平城といって、高さのない城。このタイプの城は、高低差で敵をブロックすることができないので、城下町ぐるみで防御態勢を取ることが多いとか。普段、平和に暮らしている城下町の人々や、彼らの家も、有事の際には、お城と一心同体で戦闘態勢に!(もっともこの辺は内堀の中なので、おそらくこの辺にあったのは、家臣団の家かな。) 水之手門から城内に入り、まず、目に付いたのは、この高い松の木。これは、「おあむの松」と呼ばれ、大垣では有名な物語がついている。さっきちらっと書いたが、石田三成は、「決戦は大垣城!」と考えていた。しかし、9月14日になって情勢が変化し、西軍は、夜間行軍して15日早朝、関ケ原に到着、関ケ原の戦いが始まった。大垣城には、西軍の一部の家臣が籠城しており、その一人である山田去暦は、家康の手習いの師匠をしていたことがあった。関ケ原の戦いが決着した後、大垣城でも戦闘が始まったが、その中で矢文が届いた。恩…

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石垣山城

小田原城が楽しすぎて行けなかったかき氷のお店にリベンジしてきました 東海道線の早川駅(小田原のひとつ先)で下車、徒歩10分くらいかな小田原漁港近くの「ひととせの雪」さんに行ってまいりました。30分くらい炎天下で並んだ後、入店。超人気店なんですね~ 私が頼んだのは「みかん」。この日は、熊本県産のデコポンを使用しているそうで。 ご覧のように、果物を凍らせてかき氷にしているのです 本物の果物なので、甘味だけでなく酸味もあるそれが爽やかで、さくさく食べ進められたし、かき氷にありがちな、頭がキーンとすることが一切ない超マイルドで、頼んだのは「Mサイズ」だったけど、「L」で全然よかった…酸味に疲れてきたら、左隅に写っているシロップを少したらすと、酸味が消えて甘味だけになり、またおいしい。シロップをちょっとずつたらすことで、元のデコポンだけの味と交互に味わえて、至福でした~一緒に行った友人は、「メロン」を注文したのだけど、こちらは、練乳がけでも味わえる。梅昆布茶を一緒に出してくれるのも、ピッタリで、人気店な理由がよくわかった。 待っている間に12時を回ってしまったので、まず腹ごしらえをしてから、駅に戻り、タクシーで石垣山城へ。タクシーだと早川駅から10分弱でした。駅前にタクシーはいなくて、迎車になってしまうけれど、それでも1200円程度。歩くと50分ほどかかるし、山道なので、タクシーはおすすめです。 石垣山城の駐車場でタクシーを降りて、まずは、続百名城のスタンプを押し、登城開始。“石垣山城”とい…

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岸和田城

大阪ライブの前日がゆうひさんFCの会合。何も考えずに、いつも宝塚を観る時の新幹線を予約してしまっていた。いったいその時間まで何をしよう…日程が近づくにつれ、頭を悩ませる。雪組大劇場公演も考えたけど、移動がバタバタしそうだったので、化粧タイムのことなど考えて断念というわけで、続百名城のひとつ、岸和田城に行くことにした。初めての南海電鉄に乗り、「蛸地蔵」駅で下車。グーグルマップ様の導くままに歩いていると、いきなり、視界が開けた。おおーお城だ こちらの天守閣は昭和29(1954)年の再建。成立時期は正確には不明だが、江戸時代に大坂の「南の守り」として西国への備えとなっていたそうなので、江戸時代に整備された城郭の特徴を持っているように思った。 その一番の特徴が、この百間堀。広い水堀で城をぐるりと取り囲むのは、江戸城もそうだが、「大砲で城を狙える」ようになって以降も拠点と考えられた場所。城を整備する時に、大砲の射程距離を考えて堀の幅を取っているというのが、江戸時代に現役だった証拠かな。(天下泰平の世になって御役御免となった城は多い。)岸和田、重要な場所だったんですね。(岸和田といえば、きりやんなので、力がはいる) 現在では、城をぐるりと巡らせるところまではできず、一部、埋め立てられているとのこと。この辺でどんずまりみたいですね。 さあ、お城に入りましょう。天守閣は、鉄筋コンクリート三階建て。それほど高いものではないので、眺めはまあまあかな。 真下にあるのが、こちらの「八陣の庭」。昭和28(1953…

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掛川城と浜松城

七海ひろきさん卒業のその日、どうしても他の日にすることができず、友人と年に一度程度の城旅。でも、お願いして、ライブビューイングには付き合ってもらいました 青空と桜と城…この好き日に卒業する人が、幸せにならないはずはない…と思いますで、こちらの写真は、掛川城です。私は二度目の登城だったのですが、やはり美しいですね~ そこから、JRに揺られること30分、浜松城にも行ってきました。 浜松城は、徳川家康が岡崎城の後に居城にしたところで、その後の家康の出世になぞらえ、出世城とも呼ばれています。 天守閣は鉄筋コンクリートによる再建。でも、石垣の一部が戦国時代のものであるそうで、その辺りが見どころだそうです。 こちらの写真は、若き日の家康さん像。岡崎城にも、駿府城にも家康像があり、その時々の家康さんが像になっているのが面白いな…と感じます。 そして、浜松は、大河ドラマでおなじみ、「おんな城主直虎」の故郷の町でもある…ということで、家康くんと同様、出世法師・直虎ちゃんも、ご当地の人気キャラクターになっているようです。 少し、引きで撮影した浜松城の全容です。詳細は、いずれ、写真帳の方にアップしていきたいと思います。かいちゃんのサヨナラのせいか、すごくよいお天気で楽しい遠足となりました。 城の後は、TOHOシネマズ浜松に行き、星組公演千秋楽のライブビューイングを見ました。かいちゃんの最後のステージというだけでなく、「霧深きエルベのほとり/ESTRELLAS」という作品のラストステージをライビュで見…

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村上城

ゆうひさんが出演する「人形の家」初日を観劇するために新潟へ。ただ、開演が19時だったため、昼間は、お城見物に行くことに…。以前、りゅーとぴあに行った時に、新発田城は行っていたので、今回は、続百名城から、村上城を選択した。 JR白新線で村上駅まで行き、駅からタクシーで村上市郷土資料館へ。ここにスタンプがあるんです。 資料館にはほかにお客もなく…でも、係の方がとても親切で、城に行く前に資料館の中を探索。地元の有名なお祭り、村上大祭の神輿を鑑賞してきました。資料館にこんな風に展示されています。 そこから徒歩で村上城へ。ちょっと歩くのですが、グーグル先生のお導きにより、どうにか現地に辿り着きました。 村上城は、少なくとも室町時代に、地頭であった本庄氏によって築城されたようで、標高135メートルの臥牛山を利用した平山城。 こちら、入口の一文字門跡。ここから、七曲りと言われるつづら折の坂を登り、山頂へ向かいます。比較的低い山に築かれた平山城…もいくつか経験していますが、ここまで親切な案内図のあるお城は初めて。満を持して続百名城の指名を受けたのだろう…と感じました。 東日本の城は、土塁を使ったものが多く、総石構えの城は珍しいそうです。こちらは、修復された出櫓台。 昭和の時代に豪雨で崩壊したものを、国の史跡に指定されたのを機に、修復工事に入り、平成27年に完成したそう。素晴らしい 臥牛山頂からは、日本海がハッキリと見え、お天気はイマイチでしたが、気持ちの良い眺めでした。 百葉箱久しぶりに見た…と…

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