山形城

せっかく山形まで行ったので、百名城のひとつ、山形城に行きました。 山形駅から、徒歩で10分くらいかな…。新幹線の駅から歩いて行けるお城っていいですよね こちら、歩いている途中に撮影したもの。山形は、もう紅葉が始まってるでも、気温的には、それほど寒い感じではなく、ひんやりした空気が気持ちよい感じ。 山形城の跡は、現在、霞城公園と呼ばれている。 現在、本丸御殿の発掘調査を行っているのだとか。山形城は、特に災害などで壊れたのではなく、江戸時代中期以降、城の維持が困難になっていったらしい。 こんな感じで発掘現場も見学できる。今後は、絵図面をもとに、発掘で位置を確認し、本丸御殿の間取り図みたいなカタチの広場を作る予定とのこと。(立体図面がないので、復元ができないため) 現在、復元されている本丸一文字門へ行ってみる。桝形虎口から高麗門を臨んだ写真。(てか、高麗門しか撮影してないし…) 平成26年に完成したというから、まだ3年前。道理で美しい。 この門を出ると、その先に山形市郷土館(旧済生会本館)がある。西洋医学によって運営されていた。現在は、済生会時代の史料も展示しつつ、その他、山形市の歴史などもわかるように整理されている。 こちらは、山形城主だった最上義光(もがみ・よしあき)の騎馬像。直江兼続が攻めて来た際、義光自身が陣頭指揮を執った時の雄姿だそうです。 そして、最後は、二ノ丸東大手門。櫓門の中を見学することができ、そこで案内の方のお話をお聴きすることもできる。私が千葉から来たと言ったら…

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人吉城

博多座公演の休演日に、人吉に行って来ましたって書くと、なにやら、轟理事の大ファンっぽいですね、私。 えー、人吉城に行ってまいりましたあ、これじゃないです。これは、駅前のからくり時計です。 人吉城は、JR人吉駅から徒歩で約20分のところにあります。…とはいえ、とても日差しの強い一日だったので、ほんとに20分で着くのか…と疑心暗鬼になったりも。 ほんとにあるのかと不安になったあたりで、ようやくそれらしき石垣を発見こちらは、再建した多門櫓になります。 中に入り、まず、人吉城歴史館にてスタンプをゲット。(忘れないように、いつも先にスタンプをいただいています。) そして、スタッフの方に教えていただいて、人吉城址を散策してきました。目の前のうぐいす谷に城の遺構があります。 この人吉城は、中世から明治まで、ずっと相良氏の居城となっており、鎌倉時代から35代に渡ってここに住み続けていたとのこと。なかなか例のないことだと思います。 実は、人吉城=武者返しという事前インプットしかなくて、石垣がある程度だろう的な勝手な想像をして現地に向かったのでした。滞在予定時間1時間(往復含む)みたいな感じで。しかし、実際には、各曲輪が(建物はないが)完璧に残っていて、見どころは多いし、平山城といっても、かなり高低差がある。結局、予定の時間では間に合わず、2時間ほどかけて制覇してきました。 もう、階段がきついんですよね(笑)その分、二の丸まで登った時の景色は、感動以外のなにものでもありませんでした。 そして、最後に…

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明石城

福山城を訪れた足で、もうひとつ。明石城にも行きました。 こちらは天守台です。結局、天守は築かれなかったようです。 坤櫓。三層になっているので、こちらが天守代用になっていたとのこと。明石城は、重要文化財の巽櫓と坤櫓、その間の長い石垣が遺構になっているという、珍しい城。 ちなみに、この坤櫓は、伏見城からの移築という説もあるそうで。なんか、伏見城からの移築、多いな… そして、明石公園の中には、武蔵の庭園というのがあるみたいです。武蔵というのは、宮本武蔵。明石城主、小笠原家の客人だった時代に、庭園を造ったという記録があるそうで、これにちなんで、再現されたのがこの公園みたいです。 普通に誰でも入れて、中で好きに過ごせる…市民の憩いの場所になっているようです。でも古い茶室もあって、お茶席も行われているみたい。 城というより、「明石公園」(中に城もあるけど)という感じの場所でした。

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福山城

新幹線の駅を降りて、びっくり これ、駅から撮影した写真なんです。ズームもしてなくて、これです。駅前に城です(これは天守ではなくて、伏見櫓ですけどね。)福山は、新幹線ののぞみも停車する駅です。その駅前に城たぶん、ここまで便利な百名城は、ほかにないのではないでしょうか 横断歩道を渡り、城へ。まずは、地図を見て。これは、17世紀の福山城なので、現在は、数種の遺構が残っているだけです。 天守閣は再建されたもので、中は福山の歴史博物館のような形になっています。GW中でも適度な混みっぷりで、じっくりと鑑賞することが出来ました。下から順に見ていくと、時代を遡るような感じで、最後は弥生時代の史料を見る、という感じ。 その上の展望台から下を眺めたのがこちらの写真。正面に見える屋根が新幹線の屋根です。ほんと近いですね。 直接城とは関係ありませんが、天守閣前の広場に藤棚があったので、撮影してみました。ここしばらくの暑さで、ちょっと参っている感じもしますね。 福山は、かつての星組トップ娘役、星奈優里ちゃんの出身地。優里ちゃんのことも思い出しつつ、短い滞在を楽しみました。 櫓などは、重要文化財として現存しているのですが、その辺の細かい写真は、後日「写真帳」の方にアップしていこうと思います。アップの際には、こちらのブログからリンクできるようにしますので、今しばらくお待ちください。 さて、城とは関係ありませんが、福山市は、「ばらのまち、福山」なんだそうです。電車の発車ベルの音楽も、「百万本のバラ」が使われている…

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姫路城

GWの旅3日目、朝から姫路城に行って来ました。姫路城は、『燃ゆる風』にも登場した黒田官兵衛孝高が生まれた場所。…というわけで、両兵衛と言われた半兵衛と官兵衛ですもの、こちらにも来なければね。それに姫路城は、『天守物語』の舞台でもあります。ここの最上階には、ゆうひさんやおいちゃんも演じた富姫様が住んでいるハズ… そのせいか…朝から、雲行きが怪しい…なんか、『天守物語』冒頭の場面のようではありませんか やはり、ゆうひさんファンなのね、私たち… 朝9時に門が開くのですが、8時半過ぎに現場に到着すると、既に長蛇の列…さすが、GWです。混雑時には、開門前に整理券を配付するとのこと。一日15,000枚しか配付しないのですが、我々の時点で既に1,500番台でした。す…すごい… 門を入り、そのまま、天守閣に進む列に並んだものの、実際に登るまで1時間くらいかかったように思います。 こちらは、キリシタンだったという黒田官兵衛に因んだ鬼瓦ではと言われているものです。く…暗いからよく見えない… 加工してみました。これでどうだっ 「十」の形に見えるでしょうか まあ、そんなあちこちを眺めながら列に並び、天守閣に登ってきました。 姫路城は、外から見ると5階建に見えるのですが、実際は6階建。(プラス地下1階)このような構造が、姫路城の最上階に魔物が住むという『天守物語』のようなオハナシを生んだのかもしれません。『天守物語』の冒頭では、侍女たちが下界の花を釣っていましたが、実際の天守からの眺めは、こんな感じでした…

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小谷城

GW2日目は、月組大劇場公演『NOBUNAGA』に登場した、浅井長政の城、小谷城。初めて小谷城に行きたいね…と、K様と話していたのは、6年前かな。ようやく、約束を果たせました 垂井から、米原経由で北陸本線に入り、河毛(かわけ)駅下車。駅前には、浅井長政とお市の方の銅像が。 ここからバスで10分弱の小谷城址という停留所から、GWは、小谷城案内ツアーが開催されていた。普段は、もうひとつ先のバス停、戦国歴史資料館でガイドさんの予約をする必要があるようです。ただし、GWのバスツアーは、バスを降りてから、本丸まで歩いて行き、戻ってくるという1時間程度のミニ観光となります。小谷城の全てを知りたい場合は、ガイドさんと一緒に数時間をかけて、馬蹄型の山を全部めぐるというのもありかもしれません。 小谷城址には、この兜が目印の「戦国ガイドステーション」というのがあって、この近くから、バスが発着します。かなり人気が高く、出発の一時間前には満席になってしまう…という感じ。しかも、待ち時間にお腹を満たすものが何もない…という、かなり厳しい空間なので、食べ物を事前に準備して向かった方がいいかもしれません。 そして、2日連続の山登りは、正直…非常に辛かった…ですもちろん、前日の菩提山に比べたら、かなり整備されていて、さすが、NHK大河ドラマはすごいと思いました。(2011年の『江~姫たちの戦国~』放映時に、大幅に整備されたそうです。) 5分ほどバスに揺られ、そこから、てくてく本丸まで登っていきます。山城って、まあ当…

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犬山城

先月の松江城に引き続き、現存12天守のひとつ、犬山城に行ってきました。愛知県犬山市にあるこのお城、名古屋から名鉄戦で30分ほどの地にあります。私は、犬山遊園駅から徒歩で向かいましたが、「犬山」駅からでも、所要時間は、それほど変わらないようです。城の手前には、針綱神社、三光稲荷神社などの神社群があり、その中を抜けてお城に登っていきます。犬山城は、平山城なので、城付近までは平たんな道が続くのですが、敷地に入ると上り坂が続きます。わりと息が上がるような上り坂の途中、景色が開けてくると、思わず「ひゃー」と声を上げてしまいます。テンションあがる~坂を上がりきり、入場料を払って門を抜けると、じゃじゃーんいかがでしょうか素晴らしい望楼型天守です。現存12天守とよく言いますが、実は、国宝に指定されているのは、そのうち五城しかなく、まったく偶然ですが、私が訪れたことのある現存天守は、その五城でした(姫路城・彦根城・松本城・松江城・犬山城)私、なんか、もってるかもしれない(笑)望楼(物見台部分)は、廻縁がめぐっていて、オープンエアな中、360度周囲の景観を臨むことができます。冬のスッキリとした空気の中、素晴らしい景色を眺めることが出来ました。たとえば、こちらの風景。眼下に広がるのは、木曽川。そこに架かっているのが、ツインブリッジ犬山橋。前日は、天気がイマイチだったのですが、この日は素晴らしい青空もしかして、私の雨女、治ったのかしら…犬山城の石垣は、高さ5メートルの野面積み。この野性的な石の積み方を見ていると、それだけ…

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松江城

松江城に行ってきました。お城というのは、江戸時代の政庁なので、その跡地に県庁が立っていることは、わりとよくあります。左の建物は島根県庁。松江城的には、この場所は、三の丸だったそうです。現代と過去が美しく融合していて、うっとりと眺めてしまいました。この付近には、公的な建物が並んでいるのですが、あちこちに垂れ幕があって、『竹島は日本の領土です』的なことが書いてあった。竹島は現在、韓国が実効支配しているとのことだが、もし日本の領土ということになると、島根県の一部ということになるらしい。正直、遠すぎて、どこの県に近いか、よくわからないけど、島根なのか…。では、城に入りましょう松江城は、日本に12しかない、天守が現存している城。私的には、松本城以来の現存天守訪問となる。別記事にも書いたが、実は、松江藩主となった松平直政公は、松本城から転封されてきた。松本城の次に松江城に行くというのは、正しい流れだったのかもしれない。「国宝松江城天守」の文字に、テンションアップまだまだ、あちこちに雪が残っています。1日前だったら、雪をかぶった天守閣(宍道湖十景のひとつ)が見られたとのこと。そう言われると、ちょっと残念なような…では、その、国宝・天守閣です。いかがでしょうかぶっちゃけ、そんなに期待していなかったのですが、大変申し訳ございません素晴らしいたしかに、高さは、気圧されるほどのものではないですが、なんとも、美しい晴れていてよかったもちろん、天守閣、登ってきましたよ階段は狭くて急だったけど、石落としなどもよく見えて、楽し…

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佐倉城

トークショーにつきましては、「COUNTUP」の方にちょこっと書いています。祐飛さん、少し髪の色を換えましたねさて、年末に佐倉城に行ってきました。天守とか櫓とかがひとつもない…ということは聞いていたので、そんなに期待しないで行ってみたら、もう…大興奮まず、こちらが馬出空堀です。美しい建物が何もないので、入場料など何もないのですが…このお手入れ、すごくないですか近くに建っている国立歴史民俗博物館の入場料が使われているのでしょうかこの時点で、すっかり、佐倉城址に見せられてしまいましたでは、順にご案内していきましょうこの日は12月とは思えないよく晴れた日で、お城仲間の友人と、のんびり過ごしてきました。この最高の環境の中、惜しむらくは、最寄りの佐倉駅(JRも京成も)駅前に喫茶店などが見当たらないことでしょうか。どっかに隠れてたのかな…園内を歩いていると、「マムシが出ます」とかいう、シャレにならない看板を見かけたりしますが、冬だから冬眠してるハズと根拠のない掛け声をかけながら、歩き続けました。こちらの銅像は、タウンゼント・ハリスさん。ハリスが日米修好通商条約の調印を迫った時、それを受け取り、調印のために頑張ったのが、佐倉城の城主であった、老中・堀田正睦。そんな関係で、ハリスと堀田の銅像が並んで立っていました。実際には、攘夷で固まっていた朝廷が調印に応じるはずもなく、堀田自身も井伊直弼と対立して失脚してしまい、「日米修好通商条約」自体は、大老井伊直弼が朝廷に諮ることなく締結に踏み切ってしまったそうですが。ハリ…

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新発田城

唐突に新発田城に行ってまいりました新潟まで新幹線で行き、そこから在来線で30分くらいかな。到着した新発田(しばた)駅から、徒歩で30分くらいの場所にありました。こちらが、表門。国の重要文化財でございます。正面の門の真上は、石落としになっているとか。表門まで、まったくクランクがない構造だけど、そうそう簡単に進入できると思ったら、大間違い、というわけですね。表門の内側のアウトドアにテーブルがあって、そこで地域の方がパンフレット配付したり、アンケート取ったり、していました。百名城スタンプは、そのテーブルにあって、百名城スタンプ巡りをしている人のためのパンフレットも別に用意されていました。ここでスタンプが押せるのは、11月末まで…というのは、知っていたのですが、実は、新発田城自体、11月末日で閉城になるんだとか。(スタンプだけ、新発田市役所で押せるとのことです。)毎年、3月下旬から11月末日までしか開城しない、それが新発田城なのですこちらは、表門前のお濠です。チラッと見えるのは、辰巳櫓。こちらは、漆喰の白さからもお分かりでしょうが、2004(平成16)年に木造で再建されたもの。そもそもの櫓は、元禄時代より前に焼失したそうで、管理責任者がその責任を取って、藩を出て浪人になったんだとか。それが、堀部安兵衛のお父さんだったと言われている。つまり、堀部安兵衛、旧姓・中山安兵衛は、新発田出身。そして、中山家再興を目指して、安兵衛は江戸に赴き、そこで、高田馬場の決闘で名を上げ、浅野家家臣・堀部弥兵衛に見初められ、娘・…

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