彦根城

国宝彦根城には、ゆうひさんが石田三成を演じた2011年に行っているのだが、その時は百名城スタンプの存在を知らなかったので、あらためてスタンプを押しに行ってまいりました。 駅に着いたら、まず、ひこにゃんが迎えてくれる。彦根城と佐和山城跡のフォントサイズが全然違うのは、ひこにゃんのえこひいきだろうか… 今回、真夏ということもあり、山城である佐和山城に登ることはしなかった。というか、一人で迷わずに下山する気がしない…(前回迷子になった人) 到着した日は、もう16時近かったので、城に行くのはやめにして、みつにゃんグッズを売っている戦国丸さんに行くことにして、とりあえず、ひこにゃんの大きな矢印に従ってみた。 駅を降りると小さなロータリーがあり、そこに、城のある駅あるある的に、銅像があった。もちろん、石田三成じゃなくて、井伊直政です…大丈夫、「おんな城主 直虎」以来、井伊家も好きになりました 翌朝、8時半くらいにホテルを出発、徒歩で彦根城に向かう。そんな井伊家の、幕末における有名人、井伊直弼の歌碑があった。 あふみ(近江)の海 磯うつ浪の いく度(たび)か 御世にこころを くだきぬるかな 亡くなる二ケ月前の歌だそうだ。ご存じのように、井伊直弼は、江戸城桜田門外で暗殺されたので、病気などではなかった。大老というのは役職名で、本当におじいさんだったわけではなく、享年46だったそうだ。なのに、なんだか、辞世のような歌を残しているのは、それだけ、思うところがあったのかな…と、佐野史郎さんの直弼を思い…

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広島城

5月の下旬、博多座公演とゆうひさんの出演する「人形の家」大千秋楽観劇…という旅行計画を立てたのだが、さて、博多座を観た後一人でどう過ごそう…と悩んだ挙句、広島で途中下車して広島城に行くという、意味不明な計画を立ててしまった。 当日はあいにくの雨、しかし、既に広島宿泊にしてしまったため、引くに引けず、雨の広島駅に到着。そしてなんと、傘を忘れてしまったため、現地まではタクシーで移動。(福岡空港~博多座~博多駅は、まったく外に出ないで移動できるし、私が居た時間帯は、そもそも雨が降っていなかった。) タクシーを降り、城のある方角へ。タクシーを降りた場所からは城が見えず、ドキドキしていたが、ほどなく天守が見えて来た。広島城は昭和まで天守を含む城の遺構が相当数残っていたそうだが、原爆ですべて倒壊、こちらは再建されたものとなる。 どうやら修復工事中のようでした。 天守の中は、資料館になっていて、最上階からは外が見られる。 これ、石落としなのですが、こんな風に開けた状態にして見せてくれるところは少ないので、かなり気分がアガった。ほかにも、狭間なども開けた状態で見せてくれていて、塀などについている狭間は開いているけれど、天守の狭間は塞がっていることが多いため、広島城のオープンな姿勢に感動した。 外に出て、東小天守跡の石垣を撮影。どうやら、小天守が東と南に付いた複合連結式天守だったようですね。 広島城は、中国の覇者、毛利氏の居城として秀吉の時代に築城された。秀吉も視察したことがあるとか。関ヶ原後、西軍の…

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大分府内城

別府で迎えた朝、再び温泉を楽しんでからチェックアウト、別府駅に向かった。 さすが、別府。駅前に手湯があった 連休最終日は、博多座の宝塚花組公演を観劇する。それまで少し時間があるので、別府から大分まで行き、もうひとつお城を見ることにした。 JR大分駅から徒歩15分のところにある平城、大分府内城に行ってきた。 この大分府内城は、福原直高により築城が始められ、江戸時代に竹中重利により完成したと言われる城。竹中重利は、竹中重治(半兵衛)の甥…なのかなとにかく親戚らしいです。 また、この城の別名は、白雉(はくち)城とのことで、これもこれから観劇する「あかねさす紫の花」に重なる。宝塚ファンはぜひとも訪れてほしいかも。 こちらは西南隅の二重櫓。駅から歩いていくと、まずこの櫓が見えてくる。私的には、まずここでテンションが上がる。 少し歩くと、大手門がある。その手前側に、水門…ではないが、濠が広くなっているところがある。 この城は、「荷落(におろし)」と呼ばれていた河畔に築城され、竹中重利の時代には、城のすぐ近くに船着き場があったらしい。 で、大手門。ここで、やった城到着と、テンションがMAXになったものの…門しかなかった… 中はなんと、広場になっていた。あとで調べると、以前はここに、大分文化会館があったらしい。櫓門を入ったら、コンサート会場…という武道館的な設定だったのね。(←武道館をコンサート会場とか言う人…) ちょうどGWということもあって、天気は悪かったが、中ではイベントが行わ…

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大洲城

というわけで、愛媛県3つ目の城、大洲城に行くため、市電でJR松山駅に向かった。イヨテツの町・松山では、イヨテツの松山市駅を中心に繁華街が形成されているため、JRの松山駅周辺は、それほど賑わっていない。 駅前に、松山出身の俳人、正岡子規の句碑があった。松山市出身の俳人といえば、河東碧梧桐、高浜虚子もいるが、二人は子規の弟子なので、わかりやすく子規の句。 春や昔 十五万石の 城下かな 明治27年、子規が従軍記者として日清戦争に参加する前、帰郷して詠んだ句とのこと。周囲の反対を押し切って従軍した子規は、その結果、体調を悪化させてしまうのです JR予讃線宇和島行きに乗り、伊予大洲駅へ。終点の宇和島にも、百名城があるのですが、今回はそちらには行かず、フェリーで九州に渡ることになっている。 伊予大洲駅に降りると…駅前には、なにもない。13時を回っていて、なにか食べたいと思っていたのに、あえなく撃沈。観光マップを見ると、まちの駅というのがあるようなので、まず、そこを目指して歩き始める。暑い…暑すぎる…まだ、GWなのに。 20分くらい歩いたところで、川を渡ろうとしたら、向こうに、こんな景色が このまま右折すれば大洲城(ちなみに「おおずじょう」と読むそうです)とわかったものの、朝から何も食べていなかったので、遠回り覚悟でまちの駅に向かった。 まちの駅に、14時近くなっても開いている飲食店を発見し、飛び込んだ。 名物の鯛めしをいただきました松山城から戻る途中、鯛めし屋で、開店を待つ人々を見かけて、そ…

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松山城

松山での初日、ずいぶん早く休んだので、翌朝は早朝から元気に目覚め、さっそくチェックアウト。元気に歩き始めて少しして、荷物を持ってきてしまったことに気づいたが、まいっか…と、そのまま歩き、松山城入口へ。 ロープウェイ・リフト乗り場の前には、こんなキャラたちがお出迎えを。馬に乗っているのは、松山城を築城した、三番槍・加藤嘉明公。左側にいるのは、「坊っちゃん」のキャラクターたちで、左から、坊っちゃん、マドンナ、赤シャツ・野だいこ。松山の二大名物、なんでしょうね。 こちらで往復のチケットを買い、大きな荷物をロッカーに預けて出発。ロープウェイとリフトはどちらを選んでもOK。私は、なんとなくロープウェイを選んでみました。あとで思ったのは、帰りは坂を下って二の丸庭園に行き、歩いて戻るというのも散策方法としてはあるのかな…ということ。その場合は、荷物を乗り場に置いてきちゃダメですけどね。 ロープウェイから見たリフトの光景。あっちも爽やかな感じでいいなぁ~ 松山城は、加藤嘉明によって1602年頃から築城されたが、完成前に嘉明自身は転封になってしまったとか。天守閣は、連立式の層塔型天守で、日本三大連立式平山城のひとつでもある。そして、日本に十二しかない現存天守のひとつです、もちろん。 こちらは、小天守から撮影した、大天守。登城前に、いくつか、撮影ポイントがあるのですが、新緑の季節のせいか、緑に隠れて、なかなか全貌が撮影できない…無念そういう意味では、同じ連立式平山城の姫路城は、フォトスポットがしっかり確保さ…

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湯築城

ミュージカルを楽しんだ帰りは、道後温泉近くまで戻り、湯築(ゆづき)城に。 日本百名城に、愛媛県からは5つの城が選ばれている。これは、全国最多。坊っちゃん劇場でホタテくんを観ることも、今回のGW旅行の大きな目的だったが、四国の城を見てみようというのも、大きな目的。というわけで、イヨテツの市電に揺られて、到着! すぐ近くに道後温泉がある平場に、そこだけ小高い丘。のんびりとした風景がステキな場所だった。 史跡として、しっかりと整備しようという関係者の気合いが感じられる作り。1988年から発掘作業を行い、武家屋敷などが再現されている。 こちらは再現された家臣団の武家屋敷。室内も再現されていて、当時をしのぶことができる。 庭には、池らしきものや、あずまやもあったりして、地元の方達の憩いの場にもなっているようだった。 5月というのに、この日はすごく暑い日だったので、あずまやで涼んでいる方も多かった。 湯築城は、そもそも中世に守護であった河野氏が築城したもので、その後、豊臣秀吉の四国進出のために、小早川隆景や福島正則の居城となり、その後、福島氏の転封に伴って廃城になった。発掘の結果、その様々な時期の地層が発見されたので、展示されている。 木がうっそうとしていて、登りがいのありそうな景色。 手前側はせき止められて、藻でドロドロになっているが、内堀。まるで、山水画のような景色が広がっている。 此の丘陵部の反対側にある土塁に沿って、一番端まで行くと、行き止まりになったので、また、元に戻る。 さて…

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赤穂城

宝塚のついでに…というにはちと遠かったですが、赤穂城に行ってきました。 こちら、大手門前。赤穂城の主な構築物は、昭和30年に再建されたものとのこと。それ以前は、大石神社の境内になっていたのだとか。元禄赤穂事件の後も改易で違う殿様が治めていたのに、大石内蔵助の屋敷跡と、大石神社だけは残っていたのね…さすが忠臣の鏡 そんな赤穂城には、満開の桜が 城と桜と青空…これほど似合う景色があるだろうか(満開の桜を見て、桜咲き誇る姫路城に行くというのもありだったかも…と一瞬思ってしまったことは、ナイショです。ま、たぶん、あっちはめちゃくちゃ混んでいたと思うし、なにより、スタンプはもらっちゃったので、赤穂城でよかったんですけど。) 赤穂城は、山鹿素行の助言により、本格的な築城をされているのだが、1648年という、江戸幕府が開闢して50年近く経った時代に築城許可が下りた、とても珍しいお城。藩祖の浅野長直が築城マニアだったという説もあるらしい。 こちらは、大石内蔵助邸長屋門の先にある公園桜がこれでもかというくらい植わっている。桜=潔く散る=赤穂義士みたいなイメージがあるから、ここに桜が咲いているのが、すごくしっくりくる。 その向かい側にあるのが、こちらの大石神社。超立派な鳥居。その向こうにある「義」とか書いてあるあの文字は、東郷平八郎の書だとか。立派過ぎて読めなかった…鳥居の影にある、反対側の文字は「忠魂」だった。 最も似合うだろう絵柄を作ってみた桜と大石神社の鳥居のコラボ。まさに忠義に散った大石…みたい…

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上田城

「真田丸」に嵌まって、早、2年弱…ようやく、真田の城である上田城に行ってまいりました。 今回は、お友達が車で付き合ってくれたので、上田駅からあっという間に現地に着いてしまったが、徒歩でも10分程度だと思う。 先に上田市観光会館に行き、百名城のスタンプを押し、ふっと後ろを見ると、NHK大河ドラマ「真田丸」に使用された衣装や刀などが展示されている(展示物の中で、大河ドラマのポスター2点は、撮影禁止となっていたが、それ以外は、手を触れるのはNGだが撮影OK4月~11月の間は、城内櫓門でスタンプはいただけるのだが、ぜひ観光会館にも足を踏み入れてほしい。) この日の上田は快晴だったが、数日前の雪がまだ残っていて、また気温も低く、お濠は凍っていた… 春になると、上田城周辺は、千本桜と言われる桜が満開になって、素晴らしい景観とのことだが、雪景色の上田城も素晴らしいこの景色を目の当たりにして、異常なテンションになった私に、友人がやや引いていた。(いつも、お付き合いいただき、ありがとうございます) こちらは、「真田石」。石垣に巨石をはめ込むことは、全国の城でもよく観られる光景。名古屋城や大阪城ほどではないが、こちらの真田石もなかなかの趣。 城内の真田神社に参拝して、この日観劇する公演の成功を祈願した後、観光会館内のお蕎麦屋さんで、こちらの「六文銭かき揚げ蕎麦」をいただいた。 さすがにかき揚げは完食できなかった…が、美味しかったです 極寒の上田市だったが、公演(もちろん、「HEADS UP!」上田…

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川越城

スタンプ友達との年に一度の城めぐり、今年は川越城にしました   川越城の本丸御殿に、このスタンプが一挙掲示されていて、よしっ、頑張るぞと気持ちも新たにしました ここ、川越城は、かの太田道灌と、その父、道真が築城したとされる由緒ある城。関東管領扇谷上杉領の北端の拠点のようなものだったのかも。 江戸時代は、譜代大名が配置されていた重要な城で、家康が亡くなった時(1616年)も、この川越の地で天海大僧正による4日間の法要が行われたとか。江戸幕府にとって、重要な場所だったらしい。 建物は、明治期以降移築・解体されて、さまざまな用途で使われた後、昭和42(1967)年に大規模な修理・復元を行って公開施設となった。 庭も綺麗に整備されていて、心が洗われる。てか、そういえば、この日も朝は酷い雨だったが、なんか、この写真、晴れてるとしか思えない… 赤いヘビのようなものは、現代アートで「釜なめ蛇」という川越市の言い伝えに基づくものだとか。山本麻世さんの作品だそうです。赤いアートと紅葉がいいコラボになっていて、しばし見とれた。 部屋の中も、こんな風に人形を配置して、より観覧者が理解しやすい工夫がされている。しかし、昔の建物って、風の通りがよくて、寒い… その後、近くにある三芳野神社へ。ここはなんと、あの「通りゃんせ」のモデルになったと言われている。正面に鳥居が見えるが、その手前の右側に社があるみたい。ここから鳥居に向かうこの一本道が「天神さまの細道」ということになる。この神社は、川越城の城内にあった…

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篠山城

JR宝塚線の終点、篠山口(ささやまぐち)からバスで15分ほどの場所にある篠山城(ささやまじょう)、いつかは行こうと思っているうちに、3年も経過していた。今回、大劇場公演が高騰していたので、思い切って城めぐりをしてみた。  篠山城は、慶長14(1609)年に、大坂城包囲を目的として徳川家康が築城した天下普請の城。大坂夏の陣以降は、譜代大名の治める城になったとのこと。 写真は、鉄門(くろがねもん)の跡。この先にあるのが、大書院(おおしょいん)。1944年に焼失したが、2000年に寄附等によって再建された。 中はかなり広くて、けっこう長い時間楽しめた。入館料は400円。近隣施設4館に入れるセット券600円がお得かも。  大坂夏の陣前に突貫工事的に造られたため、天守台はあったが、天守閣は築かれなかった。江戸時代になると、当然、天守閣は不要のものとなるので、そのままこんにちまで天守台が残されている。 ということで、天守台に行ってみる。 私、実は、すごい雨女。しかし、城に行くと、いつも、晴れてくるような…バスの中で振り出した雨は、大書院に入る頃には、けっこうな降りになっていた。しかし、大書院を出た時には、雨が止んでいた 何故だろう私と城の相性がいいのかしら ここまでくると、もう晴れているとしか思えないけど、雨が降っていた証拠に、足元は水たまりになっておりました… 篠山城の施設で、後世まで残った建物は先ほどの大書院だけ。建物の再建は、立体的な設計図がないとできない、ということを山形城で学んだが…

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