祐飛さんの思い出(7)

(7)2004年宝塚歌劇90周年のこの年、各組2番手が1年間他組にシャッフル出演することになった。2003年の夏の終わりに慌ただしく発表され、お正月の東京公演後半から、まず、安蘭けいが宙組に出演することになった。2003年は年末まで青年館で主演公演をしていたのに…である。2番手が大劇場でシャッフル出演している間、バウホールは各組3番手の主演公演(東上付)が粛々と計画されていた。しかーし前年に大病を患い、バウホール公演が代役上演された月組の霧矢大夢だけは、2番手でありながら、シャッフルにも行きながら、新たにバウホール主演公演が企画された。そして、月組3番手のはずの大空祐飛は、各組3番手(花=彩吹真央、雪=壮一帆、星=真飛聖、宙はW2番手なのでナシ)の最上級生にもかかわらず、バウ主演の機会を失ってしまったのだった…これは不幸と言わずして、何と呼ぶのか…私の、ファンとしての不幸は、それだけではなかった。前年、「巌流」で、安蘭けいとW主演と言ってもいいほどの活躍を見せた星組の汐美真帆が、突然、「1914/タカラヅカ絢爛」の公演で、立ち位置を下げられた。え、なに、劇団が私にイジワルしてるのっ宝塚歌劇団では、ゆっくりと成長していた生徒が急上昇することがある。2004年の時点で、既に花組2番手となっていた瀬奈じゅんも2000年に1期下の水夏希が組替えしたのを機に一気に浮上した。そういう意味で、真飛聖も2003年にスター生徒が大量退団した後、浮上するかと見られていた。しかし、その時点では、月組から組替えしてきた汐…

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祐飛さんの思い出(6)

(6)2003年前年の12月に衝撃の発表があった後、2003年は、中日劇場公演「長い春の果てに/With a Song in my Heart」からスタートした。前年の本公演とまったく同じ内容の公演。トップコンビとシューマッハ全員出演という豪華な公演だったが、ファンにとっては、これでシューマッハ解体という涙・涙の公演となった。この中日公演の観劇後、手羽先を食べて飲んでいる時に、星組のドラマシティ「雨に唄えば」と全国ツアー「蝶・恋」の振り分けが発表された記憶がある。あー、ツアー組の2番手はケロさんなんだなぁ~これは栄転なんだなぁ~と思ったのを覚えている。一方、月組は、「花の宝塚風土記(春の踊り)/シニョール・ドンファン」で新体制をスタートした。この公演には、当時の新専科から、汐風幸・彩輝直が出演し、汐風はこの公演を最後に退団を発表した。組内の体制としては、大和悠河の異動に伴い、霧矢大夢が組内2番手のポジションに就き、ショーの立ち位置、衣装などから、大空祐飛との差は歴然としたものになった。それどころか、祐飛さんは、4年後輩の月船さらら、6年後輩の北翔海莉と同じような衣装で出ることが多く、ファン的には、ある種の覚悟を強いられる公演となった。ただ、芝居では、作・演出の植田景子先生の理想の男性、スティーブ役を演じ、さり気ない芝居の中に強烈な印象を残している。衣装担当にデザイナーのコシノヒロコさんが起用され、ちょっとしたスーツなのにおしゃれなスカーフを巻いたり垂らしたり、それがもう似合うのなんの…芸能人じゃな…

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祐飛さんの思い出(5)

(5)2002年この年は、お正月から大劇場で「ガイズ&ドールズ」の公演。リカさん(紫吹淳)時代の月組にあって、唯一組子だけで上演された公演だった。この公演で、祐飛さんは、3人組のお調子者達のリーダー格、ナイスリー・ナイスリー・ジョンソンに配役された。思えば、初演時に芸達者な役者に当てられた役を、二枚目に振る、21世紀的配役の始まりはこの辺りだったのかもしれない。初演では、この役は、未沙のえるが肉布団を着て演じた役だった。それを肉布団なしで演じる…暗い役を演じると定評があったものの、笑いを取る役なんてやったこともない祐飛さんにこの難題…いったいどうすればいいのか、相当悩んだのではないだろうかちょうど、この頃、誰でも自由に書き込めるインターネットの掲示板が流行し始めたこともあり、大空が、肉布団を拒否した、という噂がまことしやかに流れていたが、当時の関係者の証言を総合すると、最初から肉布団をつけるという構想はなく、役が少ない公演を、名わき役も減った月組で上演するための苦肉の策、ということだったらしい。(よーく考えてみれば、この当時の祐飛さんに、肉布団で三枚目なんて大役、回ってくるはずもなかった!)この「ガイズ&ドールズ」東京公演中の4月、前年の「血と砂」の頃からネット上で繋がっていた友人と、いわゆるオフ会を開催、以後、東京近辺のメンバーは、ことあるごとに集まるようになった。あれから12年、今も繋がるこのご縁に、ただただ縁とは本当に不思議なものだと、あらためて思う。続く全国ツアー公演は、リカさんが花組時代…

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祐飛さんの思い出(4)

(4)2001年2001年は東京宝塚劇場のオープン年。ウキウキと劇場に足を踏み入れた私は、プログラムを見て愕然とする。きりやんと写真のサイズが違う…当時、シューマッハとして、四人一組で活動していた汐美真帆・大空祐飛・霧矢大夢・大和悠河の4人の中で、一人だけ写真が小さく、明らかに扱いが下がっていたでも、でも、でも、祝舞の場面で、下手花道のセリから上がって来る祐飛さんを見た時、「このセリを一番に使った生徒として、永遠に記録が残る」と気を取り直した。もっと違う意味で、記録を残すなんざ、思いもよらない2001年だった。公演は「いま すみれ花咲く/愛のソナタ」。祝典の和物ショーと、フィナーレ付のお芝居。その芝居で、私が感じたのは、自由な部分の演技が毎度同じだなぁ~ということ。あまり遊び心を発揮していないような…たぶん、私の中では、祐飛さんのやる気が一番低かった印象のある公演だ。「いま すみれ…」は、東京宝塚劇場のリニューアルオープンを記念したショーだったため、大劇場公演は、「愛のソナタ」を前ものの芝居にして、「ESP!!」という後もののショーを作った。真琴つばさのサヨナラ公演となったこのショーは、シューマッハをフィーチャーした内容で、祐飛さんも大活躍。女装もしちゃいました夢に見そうな二の腕だった…7月に、梅田の新阪急ホテルで初DS開催。今にして思えば、新阪急ホテルというのが異例だった私にとっても初のDS参加でした実は、どうしても見たくて、仕事関係のツテで“一生に一度”のお願いまでしちゃったのでしたあの時、祐…

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祐飛さんの思い出(3)

(3)2000年1999年の1年を祐飛ファンとして駆け抜けた私は、2000年2-3月の大劇場公演も“当然”行くことに決めた。宝塚なんか好きでも何でもない友人を半ば騙すようにして、関西旅行を決め込んだ。その公演が、「LUNA/BLUE MOON BLUE」。公演の魅力に祐飛さんがピタッと嵌まったこともあって、私のファン熱はここでピークに達した。当然、東京公演は、通いまくった。(自分比)たぶん、6回位観たんじゃないかな?当時としては最高記録。そして、8月の博多座公演に行く計画まで立ててしまった。こちらは、会社の宝塚ファンの友人を抱きこんで。当時は、チケットの取り方もよくわかっていなくて、東京駅のぴあに並んだ記憶がある。その博多座がまたよかった役替りで回って来た「BLUE MOON BLUE」の“戦士”の役がめっちゃ嵌まっていて、そして、たまたまだったのか、私たちが観た時に、トップの真琴つばささんが、祐飛さんにちょっとしたコンタクトをしてくれたのが嬉しくて…もう、最高の夏休みだった。そして、秋の「ゼンダ城の虜/Jazz Mania」は、東上しない公演だったので、当然のように、関西旅行に行った。余談だが、この時、生まれて初めてバウホール公演も体験した。(星組の「花吹雪 恋吹雪」)「ゼンダ城の虜」は、二枚目男役が犇めく中、それなりに活躍の場もあり、楽しく観劇したが、「ジャズマニア」を観て、イヤな予感がした。あれ…タニちゃんは既にバウ主演もしているスターで、ケロさんは上級生だけど…きりやんってこの前まで、祐飛…

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祐飛さんの思い出(2)

(2)1999年まあ、何度も書いていることですが…こうして年が明け、1999年のお正月のこと。たしか4日の朝刊だったと思う。紫吹淳の休演と代役の記事が載っていた。一応、紫吹の演じたプガチョフ役を新人公演で大空祐飛が演じたことは覚えていたらしく、…ということは、プガチョフ役の代役は大空祐飛か…と咄嗟に思った。その日は公演を見る日だったので、昼、社内メールで一緒に行く友達に、「大空祐飛は好きだから嬉しい」と書いた。書いて驚いた。私、大空祐飛が好きだったのか!と。その日、遅刻して劇場に到着した私は、公演が終わった時には、「好きだったのか!」から「好きだ!」となっており、以来、大空祐飛を求めて、過去への旅が始まったのだった。誰か好きなジェンヌができた時、とりあえずは、過去への旅が始まる。自分の気付いていなかった時代の、歌劇・グラフを探す。ビデオを観る。ネットを調べる。その頃、公式ページにあった掲示板をこまめに見たり、(“ゆうひが丘”という名前だったような?)ファンサイト(2ヶ所位あった)をチェックしたり、そんなことが日課になった。久世星佳ファンで、彼女の早すぎる退団を認められなかった私は、「NON-STOP」のビデオを買いながら、見てはいなかったのだが、まずその封印切りから始まり、友人に貸したままの「銀ちゃんの恋」を取り返し、そして「ブエノスアイレスの風」「ワン・モア・タイム!」を購入した。そして、原宿にあったアンジュという店に行き、過去のスチール、舞台写真を大人買い、ない分は申し込んだり…と、初心者ファ…

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しょっぱいほろ苦さ

いつまでも冷蔵庫に置いておいたら、家族の不興を買ってしまったので、仕方なく、もったいないけど食べることに…。DSの時のお土産。塩味のチョコレート。食べてみたら、しょっぱくてほろ苦かった。涙味だな、これ。

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ラスカル切手

懐かしのテレビアニメシリーズ切手として、『あらいぐまラスカル』切手発売!と聞き、買ってしまいましたアニメから切り取った絵柄も可愛くて懐かしかったけど…やっぱりラスカルに似た人を思い出してしまいました切手として販売するにあたり、目もとをくりっと黒目がちに直しているところまで、「おんなじじゃん」と思ったりして…

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祐飛さんの思い出(1)

退団から2ヶ月経過したので、そろそろ思い出の棚卸なんかしてみようかと思う。基本、自分語りの備忘録となる予定なので、ナナメ読み程度でお願いします。(そんなわけで、今後もこっそり10日前辺りにアップする予定です。)←そうすると次ページに行くんですよね(1) 出会いっちゃー出会い初舞台の時から芸名は覚えていた。「キャプテン翼」を意識した芸名なのかなーと。しかし、よくもまあ、付けも付けたり!の芸名である。たしかに大空という名字には、普通の名前は似合わないんだけどね。その後、特に意識することもなく、長い年月が経ち、それは「WEST SIDE STORY」東京公演中に突然、起こった。当時、私は、トップ娘役の風花舞さんがお気に入り。当然WSSは、マリア視点で観ていた。重大な事件が起こったことも知らず、浮かれているマリア。そこへ、ベルナルドの死を伝えようとしてチノ(大空祐飛)がやってくる。どうやって伝えよう、でも、この連絡は自分しかやれるものはいない。泣き叫ぶだろうマリアを自分が包まなければ…と、悲壮な決意をして現れるチノ。ところが、マリアは、何が重大な事件が起きたことを知るや、トニーの心配を始める。それはチノにとっては寝耳に水のことで…。伝えようとしてうまく言葉が出ないもどかしさの中、沸き上がる疑惑が確信に変わり、悲しみと同情が怒りと憎しみに変わり、吐き捨てるように、ひどい言葉をマリアに投げつけるチノ。WSSを観劇したのは、2回だけで、ほかの場面は全部忘れてしまったが、この衝撃は忘れられない。ずっとマリア視点で…

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