祐飛さんの思い出(14)

(14)2010年 2010年は、「カサブランカ」の東京公演から始まった。寒かった。出待ちが寒くて、出が遅かった。そういえば、この公演中、東京駅近くのスポーツジムに入会して、公演を観ない日は、お風呂に入ってから出待ちに行った記憶が…(笑)あとは、初めて両親を連れて観劇したことも思い出かな。「カサブランカ」だったからこそ観てくれた父親が宝塚を理解することはありませんでしたが…。(期待してなかったよ…) 3月、シアター・ドラマシティ公演『シャングリラー水之城ー』。核戦争後の近未来を描いたドラマで、祐飛さんは、記憶を失くした青年・空役。祐飛さんは、Wのピルエットが回れないという、タカラジェンヌとしては致命的なダンス能力の持ち主(※微妙に回り切った映像もあるのだが、基本的には…ね)だが、振付にWのピルエットが入った場合に足をつきながら回る、独特のターンをする。で、その祐飛さんターンみたいなものが振付に取り入れられる…という、KAZUMI-BOY先生、優しいのか鬼なのかわからないオープニングナンバーに震える…しかし、この微妙なターンも、ダンサー・蘭寿とむ氏が踊ると、超絶かっこいいのだったちなみに、この作品、楽曲として、ピアノとカホンの2人組“pia-no-jac”さんのナンバーをフルサイズで使っている。この2曲続けて踊るとふらふらになるような長くて激しいナンバーを、出演者は公演前のウォーミングアップにやっていたとか皆さん、体力があるのね…祐飛さんも、よく頑張った…とはいえ、ものすごいビジュアルのカッコよ…

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2009年2月27日

今日は2月27日。野々すみ花ちゃん、HAPPY BIRTHDAY今年は2017年なので、もうあれから8年が経過してしまったのですね。2009年の2月27日、祐飛さんの宙組トップスター就任が発表されました。その日の思い出はこちらに書いております。

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世界に一つだけの花

ツイッターのTLに不穏な空気を感じた13日深夜、SMAP解散の臨時ニュースが流れた。(既に日付は変わっていた。)解散に対して、私に何か言えることがあるなんて、さすがにちょっとないかな…だから、ふと思い出したことを書いておきたい。SMAPが「世界に一つだけの花」をリリースしたのは、2003年3月だったとのこと。その少し前から、大空祐飛ファンは、“オンリーワン”を合言葉にしていた。祐飛さんが、オンリーワンを目指したいと言っていたからだが、オンリーワンしか目指せないような位置にいたのも事実だった。そもそも“オンリーワン”発言は、同期の瀬奈じゅんの方が先だったと思う。もしかしたら、当人達の間ではそうではないのかもしれないが、メディアで発言したのは瀬奈が先だった。沖縄出身の盲目のテノール歌手新垣勉さんの言葉に感銘を受けた、ということだった。ところが、瀬奈はその後、オンリーワンじゃなく、ナンバーワンを目指せるところにまっしぐらに行ってしまって、オンリーワンは争うまでもなく大空のところに残った、というのが、当時の状況だった。なので、「世界に一つだけの花」を初めて聴いた時、祐飛ファンは誰しも「祐飛さんの歌だ」と思ったに違いない。そして、2003年5月、宝塚ホテルで開催された「シニョール ドンファン」のお茶会において、この歌が「歌のプレゼント」として歌われることになった。祐飛さんは、公演の歌とかを歌うことはあまりなくて、J-POPの曲を歌ってくれることが多かった。いつもは、自分から曲紹介をするのだが、この時は、司会…

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祐飛さんの思い出(13)

(13)2009年-2そんなこんなで、祐飛さんは宙組のトップスターになることが決まった。決まったが、花組での公演は続く。『太王四神記』の千秋楽で、カーテン前に出てきて、挨拶もしたなぁ。組長の夏美ようさんが、「宙の王」になります、と紹介してくれた。ヨン・ホゲはチュシンの王になれなかったけど、祐飛さんは、王になるのか…それを聞きながら、なんとなく反芻したのを覚えている。5月、花組での最後の公演、全国ツアー『哀しみのコルドバ/Red Hot SeaII』が始まる。この『哀しみのコルドバ』のオープニングの印象的なエリオの闘牛シーンのBGMに使用されている曲が、『Red Hot Sea』の祐飛さんの場面のBGMだったため、このシーンは曲が変更された…とか、まあ色々あったが、祐飛さん最後の2番手は、ヒゲが似合って素敵だった。ツアーは通常入り出のイベントは行われないが、場所によってバスのお見送りができる会場もある。祐飛さんは、いつもスルーなんだけど、トップのゆうくん(真飛聖さん)が、祐飛さんの手を振らせたり…とサービスしてくれたっけ…祐飛さんは5/31、すみ花ちゃんは6/1に花組での公演を終える。その後、祐飛さんだけ、「百年への道」というイベントに出演。各組のトップ2番手までが出演し、OGも呼んで、95周年を祝う…という主旨だった感じ。このイベント終了を以て、大空祐飛と野々すみ花は、宙組に組替えとなった。とはいえ、その頃、宙組生は、大和悠河サヨナラ公演の東京公演中。千秋楽は、7月5日だった。で、新トップコンビの…

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祐飛さんの思い出(12)

(12)2009年2009年は、花組公演『太王四神記』で明けた。祐飛さんの演じるヨン・ホゲのカッコよさはハンパなかったし、それだけでなく、トップ真飛聖に伍して、負のヒーローとして、これでもかという活躍ぶりだったし、フィナーレナンバーでも、“もう一人のトップ”と言えるくらいの扱いをしてもらっていた。ほかのファンの人達がこの扱いをどう考えていたかは、わからない。でも、私の中では、どれだけ扱いが上がっても、その立場に相応しい働きを見せる祐飛さんの姿に、どうしてダメなんだろう…という思いが湧き上がっていた。前年の10月に星組の安蘭けいが退団を発表していた。星組2番手は、この時、研10の柚希礼音。ちょっとだけ割り込んでも怒らないよねみたいな…。でも、そんな私の夢を打ち砕くように、早々と『太王四神記』終了後の全国ツアー「哀しみのコルドバ」の配役が発表されたりして、そういうことはないんだと、思い知らされただけに。ところが、そんなある日、「大和悠河退団」という、とんでもない情報が飛び込んできた。まだトップになって2年にもならない時期の発表だった。一週間後、相手役の陽月華も退団を発表する。その真ん中で、星組トップコンビが「柚希礼音・夢咲ねね」に決まったことも発表されていた。もし、祐飛さんにトップの目があるとすれば、まったく縁のない宙組への組替え以外にない…ここから1ヶ月、そんなモヤモヤした時間を過ごしたことになる。とはいえ、「太王四神記」は大劇場⇒東京、と公演していたので、ファンとしては忙しく活動していたと思われる…

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祐飛さんの思い出(11)

(11)2008年2008年は、月組での最後の作品、『HOLYWOOD LOVER』のバウホール公演が終わり、東京公演のお稽古が始まる前、前年と同じようにスタートした。ムラにいる時は、基本的にお正月の拝賀式に参加する祐飛さんだったが、この年は、参加していなかったようだ。周囲が騒がしいということに配慮したのかもしれない。私はお稽古待ちに行くこともなく、東京公演を待っていた。決算期だったから…かな。素の祐飛さんを見る自信がなかったのかもしれない。何があってもついていきますみたいなお手紙は書いたような記憶が微かにあるが、実際に祐飛さんの目を見たら、瞳の奥を探ってしまいそうで怖かったのかもしれない。『HOLYWOOD LOVER』東京公演は、1月19日から25日まで。ある日、入り待ちか、出待ちをしている私たちの前を、中村一徳先生が通り過ぎた。何の用組替えを機にDSやるんじゃないのそんな話題で盛り上がったが、たしか、すぐにその発表があったはず。(公演中の1月24日にDSと担当演出家=一徳先生の発表だけはされたみたいですね。)お茶会は、別箱公演にもかかわらず、800人以上の大盛況。「安心してついてこい」最後の挨拶で祐飛さんはそう言った。千秋楽は、私も空前絶後の大号泣で、2幕はほとんど泣きっぱなしだった。あそこまで号泣したことは、結局、その後一度もなかったな。カーテンコールの最後に「月組の大空祐飛でーす」と叫んで、私たちをさらに泣かせてくれたけど、出演メンバーもカーテンコールでけっこう泣いていて、挨拶する越乃リ…

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祐飛さんの思い出(10)

(10)2007年2007年は正月から大劇場公演『パリの空よりも高く/ファンシー・ダンス』に出演。お芝居では、瀬奈じゅんとケチな詐欺師コンビ。詐欺を働くつもりがエッフェル塔の建設に貢献して、一文も稼げない…というお正月らしいコメディ。作・演出の植田先生は、同期ならではのコンビネーションに期待して、2番手の霧矢大夢を詐欺の題材となるギスターブ・エッフェルに配し、瀬奈と大空を詐欺師コンビにした。しかも大空は、18歳の少年…なんの羞恥プレイしかし、この少年役が、イタくないと言えばウソかもしれないが…なぜか、ハマる。好きなんだなー、ぱかーっと口を開けて笑う祐飛さんあと、あさこさんのテンションの高い芝居に、最後までついていけたことにも感動暗い役じゃなくても、テンション保てるじゃない同期コンビによるドタバタ芝居が面白くて、脚本はアレだったけど、楽しく通った公演。一方、ショーの『ファンシー・ダンス』は、1シーン丸々祐飛さんがセンターという場面を初めてもらった。ダンスのオーディションに合格してスターになるという、いやがらせかという設定ではあるものの…いや、そもそも、主題歌からして“決めるぜ、ダブルターン”とか、ほんとイヤミな歌詞だったりしますけど、でも、そういう場面があるのは、嬉しかったこの公演で、月組は、学年も実年齢も近い1.2.3番手が充実した組というカラーがハッキリした。しかし、それは、「瀬奈を頂点とするピラミッド」とは違う組の形でもあった…続く全国ツアー公演は、『ダル・レークの恋』。きりやんがバウホール公…

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祐飛さんの思い出(9)

(9)2006年2006年も祐飛さんにとって、大きな節目の年になった。まず、星組大劇場公演『ベルサイユのばら』への特別出演。しかも、特別出演者のスケジュール調整の都合により、千秋楽のオスカルを演じることになったのだこんなところにも、なにか運のようなものを感じる。このオスカル役、朝海ひかる、貴城けい、霧矢大夢、水夏希というスター達との競演となったが、意外にも、“一番女らしいオスカル”という評価を受けた。アンドレ役の安蘭けいが唯一、“肩を抱けなかった”ガタイだというのに…なんだろう、X脚だから…じゃなくて、たぶん、すごく内面から作ったオスカル像だったせいかもしれません。そして、好評だった『THE LAST PARTY』の東京特別公演。なんと、宝塚史上初めての東京芸術劇場中劇場(現プレイハイス)での公演。この公演ほど、大空祐飛の強運を感じたことはなかった。そもそものバウホール公演が大和悠河主演の宙組公演との競作だった。その後、ヒロイン役を演じた彩乃かなみと紫城るいが、入れ替わるように組替えして、その時点で、彩乃が月組、紫城が宙組生になっていた。再演でありながら、相手役が入れ替わる…観客の興味を呼ぶ下地は整っていた。しかし、宙組では、既に大和主演のバウホール公演が発表されていた。これがネックだったのだが、そのバウ作品ではなく、「THE LAST PARTY」を東上させる…そんな判断を劇団が下してくれたことによって、同時に大空版「THE LAST PARTY」東上も実現することができた。さらに、大和主演版は…

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祐飛さんの思い出(8)

(8)2005年大空祐飛の2005年は、彩輝直のサヨナラ公演、『エリザベート』で始まる。『エリザベート』の上演は、月組が5組目。演出の小池先生も、その他のスタッフも、『エリザベート』上演へのプロセスは熟知しているので、稽古は、1幕から順につけられていった。大空の演じるルドルフは、2幕の中盤に15分だけ登場する。長い間、大空は、稽古場にいるだけ、という時間を過ごす。(カゲコーラスには参加していたが。)自身の稽古には入れず、別の人の芝居を観ながら、ルドルフについて考え続ける日々…そんな祐飛さんに、小池先生は、「ルドルフは弱かったから死んだんだ」と言ったらしいです。「弱かったんじゃない。彼は強かったから死を選んだんだ」と主張する祐飛さんに、小池先生は、「病んでる…」と言ったとか。祐飛さん自身も、役作りでプチ鬱になったかもと思い始める。そんなある日、住んでいたマンションの近くで黒猫を見つける。餌付けして、ついて来たら飼おうかと思うものの、そんなにうまくはいかなかった。野良猫の家猫化に失敗した祐飛さんは、ペットショップで生まれたばかりの子猫に出会う。本当に飼えるのだろうか、とビビっていると、小学生の女の子が、その猫に興味を示した。「もう私が買ったから」小学生相手に大人げない宣言をして、引き取った猫は、やがて、“ハウル”と名付けられ、祐飛さんの伴侶となる。ルドルフ役が原因でプチ鬱になったのは、なにも祐飛さんだけのことではなく、『エリザベート』上演のたびにジェンヌさんの間でこういう話が出てくる。また、ルドルフに…

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懐かしい…

福岡での「TABU」観劇は、生祐飛さんは2011年以来となるお友達と一緒に。彼女が関東に住んでいる時は、公演のたびに、一度は必ず観劇してくれていた。でも「ヴァレンチノ」は、東京公演が中止になってしまい…その後、奇跡的に東京公演が実施された時には、彼女はこの地にいなかった。「太王四神記」の時、「祐飛さん、やめちゃうのかな…なんか、すごく透明になった感じがした」と、突然言い出した人で、後になって、「あれは、真ん中に立つ透明感だったんだねー」と二人で語り合ったことも懐かしい。女優になった祐飛さんを観てもらえてよかった。

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