ちょっとだけ古事記4

「ちょっとだけ古事記」、いよいよヤマトタケルの登場です。前回記事はこちらです。 神の時代から、有限の命を持った天孫の時代へ。邇々芸の命(ににぎのみこと)の子、日子穂々手見の命(ひこほほでみのみこと=山幸彦)は、580年間、高千穂の宮にいて、亡くなる。その子、鵜葺草葺不合の命(うかやふきあえずのみこと)から、神倭伊波礼毘古の命(かむやまといわれびこのみこと)が生まれる。彼が、後の神武天皇である。神武天皇は、はじめ高千穂の宮にいたが、天下の政をもっと平らかに行うため、兄と相談して東へ行くことにする。神武東征である。東征は、長い戦いの旅であった。兄も戦死するが神武は戦い続け、とうとう白檮原(かしはら=橿原)の宮において天下を治めることになる。その神武から下ること12代、大帯日子淤斯呂和気の命(おおたらしひこおしろわけのみこと=後の景行天皇)は、身長199センチ、足も長かったらしい。(だから、越乃リュウさんが演じたのですね!)彼には、多くの妃と80人の子供があった。ヤマトタケルは、小碓の命(おうすのみこと)、またの名を倭男具那の命(やまとおぐなのみこと)といった。彼には、同腹の兄がいた。名を大碓の命(おおうすのみこと)といった。彼は、父天皇がお召しになる予定の娘と勝手に結婚してしまい、別の女をその娘と偽って天皇に差し出した。しかし天皇はそのことを知っていたので、偽って差し出した娘とは結婚しなかった。そういう状況であったので、天皇と大碓は仲が悪かった。ある日、天皇は、朝夕の食事に現れない大碓のことを、弟の小…

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ちょっとだけ古事記3

またまた時間が経過してしまったが、「ちょとだけ古事記」の続きです。前回は、こちら。 こうして天孫降臨を果たした、日子番能邇々芸の命(ひこほのににぎのみこと)は、笠沙の岬で美しい娘に出会う。その娘は、大山津見の神(おおやまつみのかみ)の娘、木花の佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)。大山津見の神は、あひちゃん(遼河はるひ)が演じた神様ですね。話は少しズレますが、宝塚の専科にも木花咲耶(このはなさくや)さんという女役さんがいらっしゃいました。植田紳爾先生の作品によく出演していたような…。大山津見の神は、娘と邇々芸の命の結婚をたいそう喜んだ。そして、木花の佐久夜毘売に、その姉、石長比売(いわながひめ)を副えて奉った。邇々芸の命は、かなり率直な性格だったようで、たいそう醜い容貌の石長比売は、送り返してしまった。それを知った大山津見の神は、邇々芸の命に言った。「石長比売をお側にお使いくだされば、天つ神の御子の御生命は、たとえ雪が降り風が吹くとも、その名のように、つねに石のごとく、いつまでも固く、常盤であり、また木花の佐久夜毘売をお使いくだされば、木の花の栄えるごとく、いつまでも栄えるでしょう。しかし、ひとり、木花の佐久夜毘売だけをお側にお留めなされたので、天つ神の御子のご寿命は、木の花の咲く間だけ、ということになりましょう。」永遠の命を持つ神の子孫である、邇々芸の命。その子孫である天皇家の人々の命が永遠でないのは、邇々芸の命が、美女・木花の佐久夜毘売の不器量な姉を送り返したこと、が原因のようである。とすれば、…

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ちょっとだけ古事記2

前回書いてからだいぶ時間が経過してしまったが、「ちょっとだけ古事記」の続きです。前回記事は、こちら。 前回は、火の迦具土の神(ひのかぐつちのかみ)を出産したことで陰部に火傷を負った伊耶那美の命(いざなみのみこと)が亡くなった話を、その後のエピソードを交えて書いた辺りで終わったと思う。この火の迦具土の神は、『MAHOROBA』では、「燃ゆる島」の中でクマソたちに祀られている。クマソはYAMATO(大和朝廷の前身的な意味合いなのかな?)に反抗している地方勢力だから、YAMATOの神は信仰していないはず。だから、火の迦具土の神は、YAMATOを追われた神という設定で、ここに登場するのかしら?などと考えながら、この場面を見ていた。 少し話が前後した。三貴神が登場すると、古事記は、伊耶那岐の命(いざなぎのみこと)から三貴神へと代替りしていく。特に、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、高天原(たかあまのはら)を治める最高神となる。ここで、少し気になるのは、伊耶那岐の命・伊耶那美の命が、天の神から全権を委任されて降臨し、大八島(日本)を生んだという前段の話と、伊耶那岐の命の生んだ天照大神が天空(高天原)の支配者になるという物語が矛盾している点だろう。伊耶那岐の命は、大八島では、一番えらいかもしれないが、天空には伊耶那岐の命を送り込んだ全能の神が存在しているのではないか?伊耶那岐の命が委任できる権利は、大八島の統治権だけではないのか?その辺りも含めて、この段の物語はあっさりと割愛したいところだが、少しだけ書いて…

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「MAHOROBA」上演記念ちょっとだけ古事記1

月組公演「MAHOROBA」をより深く理解するために、「古事記」の本を読んだので、公演に関係のあるところを抜粋してみようと思う。参考にしたのは、こちらの本です。 神と歌の物語―新訳古事記 作者: 出版社/メーカー: 草思社 発売日: 2005/10 メディア: 単行本 舞台は、まず、イザナギ・イザナミの二神による、「国造り・神作り」から始まる。舞台センターからイザナギ(瀬奈じゅん)、上手のスッポンよりイザナミ(彩乃かなみ)がセリ上がるが、それ以前、舞台には天女役の娘役たちが踊っている。実際には、神世七代と言われる神々が、イザナギたちに先行して存在している。最初に現れた神の名は、どうやら天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)というらしい。天の中心にあるというこの神は、実体が見えない。ここから下るにしたがって、神々は実体を表し、そして男女神に分化し、同時に生殖を行うようになる。こうして、生まれた、イザナギ・イザナミは、神々から使わされ、天の浮橋の上で、混沌の中に「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を突き刺す。そして泥の中から滴った雫から、オノコロ島が誕生する。天の沼矛は、この一度しか使用されない。だから、瀬奈は沼矛を放置して、彩乃と踊り始めるのだ。芝居の中で、幻想的なデュエットダンスが踊られたら、それは、男女の営みである…という宝塚のお約束通り、オノコロ島に降り立った二人は結ばれ、次々に国を生んで行く。淡路島、伊予の島(四国)、隠岐の島、筑紫島(九州)、壱岐の島、対馬、佐渡島、そして豊葦原の…

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「パリ空」に最後のつっこみを

ようやく、借りていた本を読み終えた。 ギュスターヴ・エッフェル―パリに大記念塔を建てた男 作者: アンリ ロワレット 出版社/メーカー: 西村書店 発売日: 2001/09 メディア: 単行本 エッフェルさんの評伝である。内容は、エッフェルさんの一生とその数々の偉業について、なかでも、エッフェル塔の建設について、本人の著書や同時代の著作物、とりわけ多くの写真も利用しながら、19世紀末という時代と、その中に生きた「鉄の魔術師」エッフェルが浮き彫りになるように、注意深く書かれている。客観的な記述が多いのだが、その中で、鉄の時代の芸術性を引き立てたのが写真だったという一文が印象的。この時代は、石の文化から鉄の文化への端境期。そして、絵画に対して写真というものが一般化した時代。当然、石側、絵画側は、新しい鉄や写真を攻撃する。21世紀、石と鉄、絵画と写真は共存している。しかし、それは結果であって、新しい技術が生まれた時、古いものは「とって代わられる」恐怖を禁じ得ない。事実、絵画と写真は共存したが、ビデオとDVDは共存できなかったのだから。そして、鉄の芸術性は、同じく新しい文化である「写真」が伝えることになる。「写真」は事実を等身大に伝える。大胆なデフォルメはできないが、一瞬の構図を切り取ることができるから、絵画ではありえないアングルが可能になる。そして、どんな細かい情報も一瞬で切り取る写真だからこそ、幾何学の中の芸術性が浮かび上がる。もちろん、エッフェル塔を描いた絵画にも素晴らしいものがある…

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「エッフェル塔ものがたり」

「パリの空よりも高く」を観劇するうち、エッフェル塔建設に関する疑問が山のように出てきたので、エッフェル塔が出来るまでの真実を調べたい、と思うようになった。それでいくつかの本を図書館で借りてみた。ひとつ読み終わったので、「パリ空」の真実の世界をご紹介したい。 エッフェル塔ものがたり 作者: 倉田 保雄 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1983/01 メディア: 新書 こちらの本の著者は、通信社の特派員として、パリに住んでいた方。 設計者がギュスタブ・エッフェルである、など、いくつかの事実誤認があるのだが、エッフェル塔にまつわる、あれやこれや様々なエピソード集といった感じで、気軽に読めた。 まず、エッフェル塔とパリ万博は不可分の関係だが、なぜ万博か、というと、それは当時のフランス及びヨーロッパの国情に大きな理由があったようだ。みつきねこさまのブログにもあるように、エッフェル塔が誕生した年、ルドルフ・ハプスブルクが自殺して(もしくは暗殺されて)いる。当時のヨーロッパは、オーストリー(オーストリア=ハンガリー二重帝国)の凋落とドイツ(プロシア)の台頭が顕著であり、フランスは対独戦争(普仏戦争)で苦渋を舐めていた。また、戦争直後にパリ・コミューンの革命騒ぎが起きている。そんな中でもフランスは万博を開催している。オテル・ド・サン・ミッシェルにとっては思い出したくない閑古鳥の万博だったらしいが、第3回のパリ万博は1610万人の観客を集め、国力の回復に一役買っている。ちなみに、当時、万博は…

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フィッツジェラルドの短編

「フィッツジェラルドの短編のファンも多いですわ」青葉みちるちゃんのセリフがまだ耳に残っている。 というわけで、長編「華麗なるギャツビー」を読んだあとは、短編をいくつか読んだりしている。たしかに、長編とは別に「短編ファン」がいる、というのはわかる気がする。最初に読んだのは、「フィッツジェラルド短編集」。野崎孝氏が訳したもので、「氷の宮殿」「冬の夢」「金持ちの御曹司」「乗継ぎのための三時間」「泳ぐ人たち」「バビロン再訪」の六編が収められている。 フィツジェラルド短編集 作者: F.S. フィツジェラルド 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 1990/08 メディア: 文庫 それから、村上春樹氏の解説つきの本を読み始めている。恐ろしいことに超ベストセラー作家の村上春樹氏の本を読んだのは、これが初めてだったりする。 ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック 作者: 村上 春樹 出版社/メーカー: 中央公論社 発売日: 1991/04 メディア: 文庫 バビロンに帰る―ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック〈2〉 作者: スコット フィッツジェラルド 出版社/メーカー: 中央公論新社 発売日: 1999/09 メディア: 文庫 マイ・ロスト・シティー 作者: 村上 春樹, スコット・フィッツジェラルド 出版社/メーカー: 中央公論新社 発売日: 1984/01 メディア: 文庫この3冊の文庫に出てくる作品は、「自立する娘」「金持ちの青年」(上記「…

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フィッツジェラルドの午前三時⑥

スコットとアルコールについては、これ以上書くこともないだろう。けれど、次のエピソードだけは、個人的に外せなかった。 “ある夜、ハンフリー・ボガートがハリウッドのクローヴァー・クラブで経験した驚きは想像に余りあるものだ。フィッツジェラルドがシーラ・グレアムを連れてバーに入ってきた。そして、しばらくボガートのテーブルに同席したので、ボガートはフィッツジェラルドに一杯飲まないかと勧めた。すると、このときスコットはにっこりと笑って、いや結構、といったのだった。” シーラが献身的に尽くしたおかげで、スコットは禁酒をして「ラスト・タイクーン」の執筆に取り掛かる。このエピソードがその頃のことか、それとも、それ以前のアル中時代のまれなエピソードかはわからないが、スコットの断り方に注目!である。「いや、結構」(おそらくは、“No, thank you.”の訳)これこそ、ラスパ千秋楽で、アーネストに「食べるか?」と聞かれた祐飛スコットのアドリブ。このエピソードを読んでいたのか、それともスコットになり切っていたのか、どちらにしても、とても嬉しいエピソードだった。  さて、前にも触れた通り、フィッツジェラルドは気に入った作家が自分の評価以上に世間に知られていないと、なんとかして売り出してやろうと、あれこれ協力するタニマチ的キャラクターだったようだ。ただ、このタニマチ(ヅカファン的には“オバサマ”?)、業界のネットワークは使うものの金は出さない。(出す金がない。困窮するヘミングウェイにおごったことはあるようだが。…

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フィッツジェラルドの午前三時⑤

『ゼルダの病院へ向かう細い道のうえで、ぼくは希望をもつ能力を失った』 と、スコットは書いている。1930年、スイス、レマン湖のほとりにあるサナトリウムで、ゼルダは精神分裂症の診断を受ける。(月組ファンにとっては、たまらない偶然ではある)診断によれば、発症は5年前で、スコットはその発病を遅らせることはできたかもしれないが、遅かれ早かれゼルダはこうなる運命だったと言われる。 『なぜ、自分が作ったこの悲しみの家庭の請求書の支払いをするために働つづけるのだろう、と自問していたことを思い出す』1930年夏、とうとう投函されなかった手紙をスコットは大切に取っていた。『ぼくたちは道を失ったが、正直いって、ぼくたちがお互いを失ったと思ったことは一度もない』その頃、ゼルダが書いた手紙が、ラスパに登場するあの感動的な手紙だ。『この世に正義があるのなら、あなたは幸せになれるでしょう』 ただ現実のフィッツジェラルド夫妻は、ドラマよりもずっと自己破壊的だったらしく、その辺はさすがに植田景子先生も、筆を弱めたのだろう。関係者のこんな証言がある。“スコットがゼルダを監視しているときの、彼の顔に浮かんで消えた悲劇的な恐怖の表情をわたしはけっして忘れないだろう。彼らは愛しあったことがあるが、いまやそれは終わりを告げた。しかし、彼はいまだにその愛を愛しており、その愛を棄てることを嫌っているのだ。彼が大事に面倒を見て、慈しみつづけていたのは、その事実だったのである”現実は、ドラマほどやさしくはない。 フィッツジェラルドは、自らの破天荒…

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フィッツジェラルドの午前三時④

スコットは自分の作品を評して、歯医者で30分つぶすには好適という言い方をしているが、その一方、どんなものを書いても自分の作品がまったくだめだったことは一度もない、とも語っているそうだ。自分の作品への冷静な視点と、自分の才能に対する自負と矜持を感じる。 「THE LAST PARTY」には、スコットがフェイ神父という人物に傾倒した少年時代の記述は見当たらない。しかし、このエピソードはスコットの伝記に必ず登場する。おそらく、神父が1919年、つまり「楽園のこちら側」出版の前に亡くなっているからラスパからは省かれているのだろう。「楽園のこちら側」は、フェイ神父に献げられているが、スコットはその名のつづりを間違っているらしい…。ちょっと微妙。 「楽園のこちら側」出版に関するエピソードは、だいたいラスパの通りだったようだ。「ロマンティック・エゴイスト」第1稿は、スクリブナーズ社に断られるが、この時、出版に好意的だったマックスウェル・パーキンズが建設的な批評を添えた。こうして、「ロマンティック・エゴイスト」第2稿が完成、またもスクリブナーズ社に拒否される。そしてこれを改訂した「楽園のこちら側」が送られてきた時、マックスは辞表を手に出版を勝ち取ったという。 さて、フィッツジェラルドの登場の仕方、日本で考えると誰なんだろう?と考えた。そして思いついたのが田中康夫、古くは石原慎太郎だった。今は政治家の二人…では、スコットも政治への関心があったりしたのだろうか?どうやらスコットは「空想的共産主義者」だったらしい。この…

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