アンドレ忌

先日の雪組トークショーも推敲し再アップいたしました。こちらです。 今日、7月13日は、アンドレ・グランディエ様の命日。宝塚の舞台では一瞬の出来事のように描かれているが、原作では、オスカルと衛兵隊が革命軍に寝返ったのが7月13日。その戦闘でアンドレが戦死し、翌14日にオスカルと残った兵士たちがバスティーユを目指すことになっている。国際映画やアニメなど多くの派生作品では、アンドレは蜂起する平民の立場に立ち、むしろオスカルがその影響を少しずつ受けていくような展開になっている。原作の“従”ひとすじのアンドレにオスカルが惹かれていく過程を描ききれなかったのだろう。でも、私は、原作のアンドレが好きだった。オスカルの従者として、平民としては稀な厚遇を受けているアンドレ。オスカルの近くにいて、その議論の相手になれるほど、実は頭のいい青年であるから、オスカルがジャン・ジャック・ルソーとかを読み始めた段階で、アンドレもそういう思想に触れて、何も感じないはずがない。それでも、アンドレは自分からそっちの立場を目指したりはしない。それでいて、オスカルがたぶん貴族であることを全うできないだろうことにも、気づいている。そして、そんなオスカルにアンドレは従うのだ。男が女に従う。なんのてらいもなく、それができてしまう…でも、彼自身のプライドはちゃんとあって…そんな芯の強いアンドレがとても好きだった。宝塚の“ベルばら”は、いろいろと原作破壊をしてくれているけれど、アンドレの影的魅力については、初演からずっと守ってくれている。そこは植…

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ベルばら、いらない場面はどこだ?

昔に比べて最近の『ベルサイユのばら』は、主な登場人物も少ないし、エピソードも少ない。上演時間は同じなのに、どこで間延びしているのだろう?もちろん、植田先生がお年を召して橋田●●子状態(セリフが長く、くどい)になっているのは否めないのだが、それ以外にも、いらない場面が多く、ほしい場面が削られているのでは?という気がしてならない。そんなわけで、雪組版の“ベルばら”で、実際にいらない場面を検証してみたいと思う。ただし、あくまでもストーリー上いらない場面を検証することにとどめ、この場面とこの場面が続いたら舞台転換は?とか、この場面削ったら、○○さんの場面は?ということは一切無視。役すら削られてしまう人も出てくるとは思うが、あくまでも、理論上のお話なので他意はないですではプロローグが終わって本編の最初から。第5場 王家の紋章ブイエ将軍(箙かおる)が王弟プロバンス伯(奏乃はると)のもとを訪れ、フランスの各地に暴動が起きたため、鎮圧のための王命をもらいに来る。不穏なフランスの国情を説明するために存在する場面であり、同時に、有名な『いいえ、陛下、暴動ではございません。革命でございます』のセリフを入れるために存在していると思われる。しかし、この場面は、まったく本編に登場しないロベスピエールだのミラボー伯の説明が長々続くなど無駄が多い。また、この冒頭の場面で『革命勃発』を国王が認識しているとなると、これ以降、“私は王なのだ”とか言ってお散歩するとか、どんだけKYなのか?っていう話になる。それに、すでにそこまで事態が悪…

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宝塚歌劇 フェルゼンの悲劇

前記事で、原作のフェルゼンがいかにオトコマエであるか、原作のセリフを引用しつつご紹介させてもらった。では、宝塚のフェルゼンは、この39年、どんな憂き目に遭って来たのか…フェルゼンの悲劇の歴史をご紹介したいと思います。1.1974 『ベルサイユのばら』(大滝子)「オスカル、笑ってくれ。恋に盲目となった哀れな男を…」「いかに恋に目が眩んだとはいえ、僕には僕の思慮もあり、分別もある」などの台詞はこの当時から登場している。そしてオスカルに帰国を勧められ、「女でありながら女を捨てた君に、この恋の苦しさが分かる筈はない」と憤然と去るところも。しかし、初演のフェルゼンは、本当に思慮も分別もあったらしく、メルシー伯にダメ押しをされる前に帰国を決意するのだった。…と、わりとマトモなフェルゼンではあるのだが、なにしろ出番が少ないここで帰国した後、基本的に次に登場するのは、なんと、花祭りの後である(間に一度とってつけたようなオリジナルの場面で登場するが、本筋に関係ないのでテレビ中継ではあっさりカットされている)ちなみに、花祭りの場面⇒フェルゼンのところにジェローデル登場⇒駆けろ、ペガサスの如く⇒牢獄の場面と、現在でもおなじみの場面が、一気に登場するので、花祭りからは出ずっぱりではあるのだが…。2.1975 『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-』(松あきら・美里景)ドレスを着たオスカルとダンスを踊り、「女王様が紅バラだとするならば、白バラのような人だった…」と言って落としたハンカチを届けに来たり、オスカルの決闘に立ち…

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古代史のロマン

『月雲の皇子』は、題材の選び方がいいし、ストーリー展開もいいし、そして、すべてを説明しないで観客の想像に委ねる奥ゆかしさもある。登場人物が古代すぎて情報がないので、色々と調べてみた。すると、同じ(似た)名前の人物が、非常に時代を特定して現れる面白さに出合った。ちょっと表にしてみようと思う。18(允恭)-21(雄略)31(用明)-33(推古)35(皇極)-42(文武)木梨軽皇子  軽皇子(=孝徳) 軽皇子(=文武)穴穂皇子(=安康) 穴穂部皇子 穴穂部間人皇女(用明后) 間人皇后(孝徳后)大泊瀬幼武尊(=雄略) 泊瀬部皇子(=崇峻) 額田部皇女(=推古)額田女王そして、実は、この3つの時代すべてに“兄弟間の争い”“不義密通スキャンダル”の物語がある。史部(ふひとべ)が文字で断片的な記録を残していくという設定が登場し、若き日の穴穂皇子は、兄のために自分が正史を編纂しましょうと言うのだが、実際に正史の編纂は、天武天皇の命によって行われた。正史の書かれていない時代の物語は、自由な創作の許す部分がある。もしかしたら、「現代」の書けない物語を、敢えて過去の物語のようにして、似たような名前の人物に仮託した…なんてことがあるかもしれない。そして、脚本の側も宝塚歌劇団演出部という、ある意味徒弟制度が現代にも色濃く残る世界で、大先輩の偉業に遠慮して、本当は書きたかった物語を、敢えて時代を変えて似たような設定のドラマに仮託したりしてたら…それはすごーく面白いな~とか、邪推しつつ観るのも楽しいだって、衣装とか、明らかに別…

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勇於不敢則活

バウホール公演『月雲の皇子』、かなり私好みの舞台です古墳時代というのは、たとえば、『あかねさす紫の花』など飛鳥時代に比べて、史料もなく、あと、その時代の中国が統一国家ではなかったことから大陸側の史料も少なく、謎だらけ。それゆえの自由な発想で、美しいものがたりが展開されている。そして、難しいけれど、美しい日本語が使われているのも、ポイントが高い。そんな中、意味不明な言葉があったので、ちょっと調べてみました。わりと最初の頃に、穴穂皇子(鳳月杏)が引用する言葉です。敢えてせざるに勇なれば則(すなわ)ち活(い)くこれ、老子の言葉だったんですね。勇於敢則殺 勇於不敢則活此兩者或利 或害天之所惡 孰知其故是以聖人猶難之天之道不爭而善勝 不言而善應 不召而自來 繟然而善謀天網恢恢 疏而不失テンモーカイカイ、ソニシテモラサズと、よく引用される言葉と一連となる一文だったんですね。前文の『勇於敢則殺』と対になっていて、「敢えてするに勇なれば、則ち殺し 敢えてせざるに勇なれば、則ち活く」…穴穂は、“ここは引く勇気を持ちましょう”ということを言いたかったんですね殺と活の字を使っていることから、これは、自分自身の生死のことを言っているのではなくて、為政者が自分の民をどうするか、という話のようです。打って出るも引くも、上に立つものが決めること、その結果、民を殺すか、活かすか。どちらにも利があって害があるだろう。天の憎むところ(悪)は、誰もわからない。聖人であっても。しかし、天の道というものは、争わずに勝ち、言わずとも応じ、呼…

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ニュー・アムステルダム劇場

みなさま、今月のブログのヘッダー写真、ご覧になりましたでしょうか?これ、東京ディズニーシーの“ブロードウェイ・ミュージック・シアター”です。なんで、これを貼っているかというと、実は、この劇場、モデルがかのニュー・アムステルダム劇場なんだそうです。それも、創建当時の。祐飛さん演じるロナウドが、憧れ、手に入れようとした劇場は、こんな感じだったのか…と、見ていただきたくて、今月はこの写真を掲載しました。こちらに別角度のものも載せておきます。 

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1927年のジーグフェルド(当時のブロードウェイ)

私の手元に、「ブロードウェイミュージカルのすべて」という大変ありがたい本がある。 ブロードウェイミュージカルのすべて作者: スタンリー グリーン出版社/メーカー: ヤマハミュージックメディア発売日: 1998/12/10メディア: 単行本1866年から1992年までのブロードウェイ上演作を新作についてはほぼ網羅している。解説もついているし、索引もタイトル、作家、演出家…とあらゆる方向からできるので、実に便利。さっそくこの本を使って、「華やかなりし日々」のブロードウェイ状況を探ってみた。まずは、可愛いロナウド(星吹彩翔)が憧れていたフォーリーズの時代。1907年 FOLLIES OF 190724年間続いたフォーリーズの初演がこの年だった。1907~1910年までは、タイトルもFOLLIES OF 19XXだったそうで、「Ziegfeld Follies」となったのは1911年。そして、さらに残念なことに、この初演は45丁目のニューヨーク劇場の屋上に作られたジャルダン・ド・パリ劇場というところで行われたそうだ。(ともちんがジーグフェルドさんなので、ちっこいジャルダン劇場というのも、ちょっと嬉しい偶然である。)この第一作に登場したテーマは、ポカホンタスとジョン・スミスの恋物語だったとか。そしてジーグフェルドガールズは、この初演では、「アンナ・ヘルド・ガールズ」だったらしい。メンバーの人選に口を挟むわけだ。しかも、この、フォーリーズ初演は、真夏の開催だった。じゃあ、1907年の冬、ニュー・アムステルダム…

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ジョージ・ホワイトのスキャンダル

劇中でかいちゃん(七海ひろき)演じるジョージ・ホワイトさん、実は、ジーグフェルド・フォーリーズにご出演のスターでした。そしてジーグフェルドのノウハウを応用して、ジョージ・ホワイトのスキャンダルズを立ち上げたのです。なんだかジャコモ・アジャーニさんのような人ですね。フォーリーズがヒットした後、ブロードウェイでは山のようにレビューが作られていった。その中で、「ジョージ・ホワイトのスキャンダルズ」は、21年間で13本という、24年間で22本のフォーリーズに次ぐ成功をおさめている。ダンサーだったジョージは、ダンスに重点を置いたテンポあるショーを展開して、フォーリーズに飽き足らない客を掴んでいた。また、寄せ集めの音楽だったフォーリーズに対抗して、一人の作詞家と作曲家をペアで起用することにより、全体の統一感を図る構成でもあったらしい。決してサルマネだけの人ではなかったようです。

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企画の問題

雪組東京公演「ドン・カルロス」を観劇した。ちゃんとした感想は、もう一度観劇してからにすることにして、今回は、観てまず感じたことを。スペインの皇太子、ドン・カルロスの悲劇は、シラーの叙事詩や、オペラでも有名とのことだが、この公演が決まるまで、私はまったく知らなかった。なんとなく大筋は作品解説で読み、ドン・カルロスの生涯をネットで調べた程度での観劇。ストーリーには色々言いたいこともあったが、その前に、ドン・カルロスという王子が主役として正しい(けど、周囲のせいで異端審問にまで追いやられる)という風には思えなかった。この王子、かなりの変わり者である。そして、父王とは不仲。でも民衆には人気があった。なぜって彼は朗らかで、民衆にやさしいプリンス・チャーミングだったから。その上、愛してはいけない立場の女性を愛しているらしい。先月、「エドワード8世」を観ていた観客には、デジャヴですよ、これ。ドン・カルロスは、とても真面目な青年だと思う。そして、民衆が国王や王族に対して、極端にかしこまったりするような権威主義には反対なんだと思う。自分の意思で、新しい時代を切り開こうという気概を持っているようにも見える。でもやってることは、女官を愛し、教会でハンドダンスを先導し、禁制の聖書を隠し持っていて(国教に対して畏敬の念が不足)、ネーデルラント問題(政治問題)に口を挟んだりする。そういう新しい人物が、王冠を捨てた話を我々はもう観ている。そして、それが現代の物語であったために、私はドン・カルロスについてはほとんど知らないが、エ…

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とある可能性

宙組大劇場公演は、原田諒先生の大劇場デビュー作。この芝居において、大きな存在となっているのが、実在のレビュー王、フローレンツ・ジーグフェルド(悠未ひろ)の存在だ。ジーグフェルドと、彼のレビュー劇団、ジーグフェルド・フォーリーズは、ショービジネス界では有名であるのに、ネット検索すると、あまり情報が得られない。それで、ふと思い出した。かつて、宝塚歌劇団はジーグフェルドを主役にした1本物の大作を上演している。そして、私は、それを観劇しているのだ。1986年の『レビュー交響楽』、この公演で、72期生の香寿たつきや紫吹淳が初舞台を踏んでいる。作・演出は、植田紳爾先生である。当然、プログラムには、モデルであるフローレンツ・ジーグフェルドの人生が簡潔にまとめられた一文がある。読んでみて、驚いた。『レビュー交響楽』の舞台は、今回の『華やかなりし日々』と同じ1927年だった。この年、ジーグフェルドは、ブロードウェイで4つの舞台の幕を開けるという快挙を成し遂げた。と、同時に私生活では、パートナーにして主演女優だったアンナ・ヘルドと離婚、アンナはライバルのウィンター・ガーデン劇場に所属してしまう、という事件も起きている。ジーグフェルドは、フォーリーズの女優、ビリー・バークと再婚するが、1929年、ニューヨーク株式の大暴落で破産し、その3年後に失意のまま、亡くなっている。ちなみにこの作品では、1927年に、リンドバーグが大西洋無着陸横断に成功し、ジーグフェルドはさっそくこのネタをレビューに採用している。そしてわが国では、…

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