今回の旅の大きな目的のひとつ、飫肥城
しかし、ここにきて、順調だった旅の天気が…朝から雨
宮崎駅からJRで飫肥駅まで行き、そこから天気を考慮、タクシーで飫肥城へ。お天気だったら歩けるほどの距離です。
タクシーを降り、バスターミナルのような場所で、ちょっと観光案内していただく。飫肥城周辺は、武家屋敷がたくさん残っていて、小村寿太郎(ポーツマス条約締結時の外務大臣)の生誕地(記念館)もあって、お城だけでなく飫肥全体をアピールしている模様。この場所では組み合わせ割引チケットのみ販売している。
その後の観光予定を考え、武家屋敷や記念館はスルーすることにして、飫肥城へ。いろいろ質問したわりに、あっさりスルーしてすみませんでした。
はい、飫肥城です。
到着したあたりで、雨が大変なことになっている中、ここまで来たのだから…と、必死に傘を握りしめて城内に。
ここ、宮崎は、シラス台地。
かなり雨が強く降っていても、水はけがよくて、変に感動してしまった。
写真小さいけど、わかりますかね
雨が素早く浸み込んでいくので、城内の歴史資料館に行くまでは、わりと楽でした。
こちらは、大手門西側の土塁です。木の向こう側が一段高くなってますよね。
この土塁の向こう側が、大手門前の空堀になっていて、大きな落差を生んでいます。
この時、雨はこんな勢いでした。
排水溝を流れる水をご覧ください。
でも、まだ、水たまりにはなってないですよね。シラス台地、恐るべし、です。
ここで、歴史資料館へ。
窓口のスタッフさんがとてもやさしくて、百名城のスタンプは資料館に入らなくても押していいですよ、とかおっしゃってくださったり、荷物にかけるビニール袋を貸してくださったり、本当にありがたかったです。
もちろん、資料館は、しっかり堪能いたしました。特に、こんなところで、堀川国広系図を見つけたのは、嬉しかったです。
堀川国広、実は、宮崎の生まれなんですよね。
さっきのシラス台地説明の写真のところで見せた、狭間のある土塀の裏側。
こういう形で、木の杭で支えているものは、最悪、杭を外して倒すことで、敵にダメージを与えるという戦い方もあるんですよね。
こちら、さっきの土塀の反対側の空堀です。
天守はないものの、城のお手本のような設備があちこちに残っていて、たぶん、この先の本丸跡を見たら、もっと感動したと思うのですが、さすがに豪雨がすごすぎて、いくらシラス台地でも、本丸に行くのは難しいと判断しました。
残念…また行きたいな
雨が酷かったので、近くのお店で、飫肥天(さつまあげのような練り物。材料に豆腐や味噌が入っている)とうどんをいただきました。
玉子焼きも美味しかったです。
あ、当然のようにビールもいただいてしまいました。
そうそう、飫肥藩の藩主は伊東家。代々藩主は伊東祐〇(すけ〇)という名だそうで…あれ、それってと思ったら、やはり、「鎌倉殿の13人」にも登場した伊豆の豪族の末裔。
日向伊東氏の家紋は九曜紋。
でも、江戸時代には、熊本の細川藩に遠慮して、十曜紋にしていたんだとか。一個増やしてるところが可愛い
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