槵觸(くしふる)神社の後は、観光協会のスケジュールに戻り、路線バスの旅になります。
とはいえ、まずは、高千穂峡に戻らねば…(設定では、12時に観光協会(バスセンター)に集合、チケットを受け取ったら、三々五々徒歩で高千穂峡に向かい、高千穂峡を満喫した後、タクシーで観光協会に戻る…ということになっている。朝から前倒しで高千穂峡を楽しんだ我々は、その時間で槵觸神社を堪能したものの、元の行程に戻るには、またまた同じ道を高千穂峡に向かうしかない…。ちなみに、徒歩で向かった高千穂峡から、なぜタクシーで戻って来るかというと、帰りは上り坂になるのでお年寄りなどは、やはり疲れるということを勘案してるのかと…。)
槵觸神社の帰り道で見かけた「高天原(たかまがはら)神社」。
こちら、既にご本体は移転していると書いてありましたが、お詣りだけさせていただきました。
夜神楽の「彦舞」像。説明文を読むと、こちらが猿田彦の姿なのかもしれません。鼻も長いですしね。
(やたらと猿田彦にこだわっているのは、昔、大空祐飛さんが、猿田彦をモデルとした“サダル”という役をやっていたからです。)
再び高千穂峡に戻り、タクシーでバスセンターに戻り、指定された路線バスで「天岩戸神社」へ。
天照大神にお迎えしていただきました。
こちらが、天岩戸神社鳥居です。
芭蕉の句碑がありました。
いや~どこにでも芭蕉は行くんですね…と思ったのですが、これは特に高千穂が舞台というわけでもなさそうな…
「梅が香にのっと日乃出る山路哉」
こちらが、天岩戸神社神楽殿です。さすが、神楽のまち。ここにも神楽殿がありました。
(ささーっと神職のご案内を受けて遥拝所に向かってしまったので、拝殿のお写真撮ってなかった…)
ちなみに、神職にご案内される遥拝空間は、撮影禁止エリアとのこと。それだけ神聖な空間ということですね。
天岩戸の跡地は、遥拝所の対岸(間に岩戸川という川が流れている)にある洞穴で、そこに注連縄が張られている場所。(戸は手力男命が戸隠(長野県)まで吹っ飛ばしたらしいので、穴しか残っていない。)
こちらは、御神木の「招霊の木」。天鈿女命が天照大神に出てきていただくための舞を舞った時に、手に持っていたのが、この招霊の枝だったとのこと。天岩戸神楽で使用される「神楽鈴」(三番叟鈴)は、この木の実が原型だと言われているそうです。
ここから、さらに、天照大神が天岩戸にお隠れになった時、どうやって出てきていただこうか…と神々が会議をされた天安河原に向かいます。
この太鼓橋は、岩戸川の支流「土呂久川」に架かっています。
こちらが仰慕窟(ぎょうぼがいわや)。ここで神々がご相談をなさったという場所です。
ここは、撮影禁止ではなかったです。
神々の土地であるだけでなく、マイナスイオンもたっぷり。ずっとここにいたいな~と思う高千穂でした。
冬至には、天岩戸の注連縄をかけ替える行事もあるそうで、必ず雪になるらしいのですが、見てみたい…かも。
夕方、高千穂から延岡に出て、電車で宮崎へ。
居酒屋で英気を養い、宮崎駅前のホテルに宿泊。この日は、一日よいお天気でした
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