ミュージカル
「VIOLET」
音楽:ジニーン・テソーリ
脚本・歌詞:ブライアン・クロウリー
原作:ドリス・ベッツ「The Ugliest Pilgrim」
翻訳・訳詞:芝田未希
演出:藤田俊太郎
美術:原田愛
照明:日下靖順
音楽監督・ピアノコンダクター:江草啓太
衣裳:前田文子
ヘアメイク:宮内宏明
振付:深海絵理子
音響:宮脇奈津子
映像:横山翼
歌唱指導:柳本奈都子
稽古ピアノ:宇賀村直佳
ヘアメイク助手:水崎優里
演出助手:守屋由貴
舞台監督:倉科史典
オリジナルロンドン公演 美術:モーガン・ラージ
<キャスト>
ヴァイオレット…三浦透子※/屋比久知奈(Wキャスト)
フリック…東啓介
モンティ…立石俊樹
ミュージックホール・シンガー…sara
ヴァージル…若林星弥
リロイ…森山大輔
ルーラ…谷口ゆうな
老婦人…樹里咲穂
伝道師…原田優一
父親…spi
ヤング・ヴァイオレット…生田志守葉※、嘉村咲良、水谷優月(トリプルキャスト)
swing…小暮真一郎、伊宮理恵
※印は私が観劇した日のキャストです。
1964年のアメリカ。
子供のころ、父親(spi)の手からすっぽ抜けた斧が顔面に当たり大けがをしたヴァイオレットは、成人しても顔に大きな傷跡が残っている。
数々の奇跡を起こして話題になっているテレビ伝道師に会って、傷を治してもらおうと、25歳になったヴァイオレット(三浦)は、単身長距離バスでノースカロライナからオクラホマを目指す。バスで黒人兵フリック(東)や白人兵モンティ(立石)、老婦人(樹里)と交流を持ち、そしてようやく伝道師(原田)に会えたのだが…
本作、諸般の事情を受けた演出判断により、ふたつのことが実施されている。
ひとつはヴァイオレットの傷を描かなかったこと、もうひとつは黒塗りをやめたこと。
本作では、ヴァイオレットが顔の傷と向き合う物語であり、そこに淡い恋が絡む。ヴァイオレットは、長距離バスで出会った黒人兵フリックと白人兵モンティの両方と心を通わせるが、フリックが黒人であることは、彼女の心の透明なバリアになっている。(友人としては差別なく付き合っても、恋愛対象ではない…みたいな…フリックではなく、モンティを選んだのは、結局のところ、モンティが白人だったから…みたいな)
最近の演劇、いろんな事情が絡んで、「あえて身体的特徴を表現しない」方向に行っている。
もちろん、ヴァイオレットの傷を描くことで、何が変わるのかという問題はあると思う。どれだけ顔が傷ついていたら、25歳の女性として耐えられないのか…その感覚は観客一人一人で違うだろう。結局、どんな傷を描いても、傷の大小という些末なことに囚われてしまう。むしろ、傷を描かないことで、観客一人一人が自分にとって耐えられない傷をヴァイオレットの顔の上に想像してほしい、というのは、ある意味合理的なのかもしれない。それに、フリックは黒人、と何度もセリフに出てくるのだから、ああ、黒人なんだなと想像すればいい、っていうことも理解できる。
でも、こっちも人間なので、演劇を観ると、場面場面で色々な感情を抱いてしまい、心が忙しいわけで、その上に、演劇上のお約束を勝手に足されると、観ていて疲れる、というのは正直ある。
なので、顔に「++++」くらいの線が描かれていれば、「あー、傷だな」と思い、その傷が舞台上と観客の共通認識になる、とか、少し顔色を暗めに塗ってくれれば、「あー、黒人なんだな」と思い、その心情に思いを馳せることができる、とか、それができない観劇って、正直しんどい。
今後、演劇とどう向き合っていくか、の中で、このことは、考え続けなければならないのだろう。
出演者的には、回想シーンにしか登場しない父親役のspiがアメリカのパパを体現していて、カントリーな衣裳も完璧に着こなしてて、感動フリックの東とモンティの立石は、途中対立しつつも、ふわっとした友情が心地よく、ヴァイオレット役の三浦を含めた三人の青春が凝縮されていて、爽やか~
伝道師の原田は、1960~70年代に流行っていた「テレビ伝道師」を現代に再現。原田らしいトリックスターぶりを発揮しつつ、彼の指摘は真理をついてもいるので、伝道師のすべてを否定しなくても成り立つ、原田のエンタメ力に感銘を受けた。
ヴァイオレット役の三浦は、歌唱力にまず驚き、そして、彼女のぶっ飛んだ行動力や、独特の恋愛観など、個性的なキャラクターを立体的に表出していく姿に、いろんな作品で観てみたい人だな、と思った。
黒人差別問題は、フリックのこと以外にもちょこちょこ出てくるのだが、やはり、誰が黒人かわからない(この部分は兼ね役の関係もあったかな)ので、作品の本質を深く理解するためには、なにか方法が必要なのではないか、と感じた。
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