「帰還不能点」観劇

「帰還不能点」


脚本:古川健
演出:日澤雄介
舞台美術:長田佳代子
美術助手:小島沙月
照明:松本大介
照明オペレーター:桐山詠二
音響:佐藤こうじ
音響オペレーター:たなかさき
音楽:佐藤こうじ
衣装:藤田友
舞台監督:本郷剛史、鳥巣真理子
演出助手:平戸麻衣
演出部:大知、本宮真緒、麗乃
宣伝美術:R-design
写真:池村隆司
撮影:神之門隆広、与那覇政之、松澤延拓、大竹正悟、遠藤正典
タブレット字幕:G-marc(株式会社イヤホンガイド)
web:ナガヤマドネルケバブ
制作協力:塩田友克、瀬上摩衣
制作:菅野佐知子


<配役>
岡田一郎…岡本篤(劇団チョコレートケーキ)
久米拓二…今里真(ファーザーズコーポレーション)
千田高…東谷英人(DULL-COLORED POP)
城政明…粟野史浩(文学座)
市川仁…青木柳葉魚(タテヨコ企画)
泉野俊寛…西尾友樹(劇団チョコレートケーキ)
吉良孝一…照井健仁
庄司豊…緒方晋(The Stone Age)
木藤芳男…村上誠基
山崎道子…黒沢あすか
声…近藤フク(ペンギンプルペイルハウス)


劇団チョコレートケーキが、東京芸術劇場のシアターイースト、シアターウエストを同時に使って「戦争」関連作品六作を一挙上演する企画「生き残った子孫たちへ」をこの夏観劇することにした。
スケジュールの都合により、「追憶のアリラン」だけは、映像での鑑賞となるが、その他の5作品はすべて劇場で観劇する。私にとっても、これはひとつの挑戦になる。戦後77年、生き残った子孫として、あの戦争について、深く考える時間がほしかった。ひとつひとつの作品を噛みしめつつ、あの戦争とは、ということを考えて記録していきたい。


さて、タイトルの「帰還不能点」とは、航空用語で、燃料の計算上、出発地に戻ってこれなくなる飛行地点を言う。これより先に何か起こった場合は、出発地点に戻ることを諦めて別の着陸地を探すか、不時着を決断することになる。
転じて、本作では、我が国が敗戦へまっしぐらに突き進んでいく昭和10年代のどこに「帰還不能点」があったのか、逆に言えば、「どの地点なら、やり直すことが可能だったのか」という問題を考える作品になっている。
昭和16年、将来を嘱望される各分野(主に各省庁)の若手エリートによる「総力戦研究所」という組織が対米戦が実施された場合のシミュレーション結果を首相官邸で発表している。対米戦は絶対に負けるという結論に対し、講評した陸軍大臣東条英機は、「諸君の机上演習結果は、勝利につながる意外裡なことを考慮していない」と不満を述べたらしい。
が、総力戦研究所のシミュレーション通り、昭和20年、日本は敗戦を迎える。


昭和25年、朝鮮戦争特需の日本、かつて総力戦研究所で対米戦シミュレーションを発表した模擬内閣メンバーが、一堂に集結した。2年前に病死したメンバーの一人、山崎を追悼するために。場所は、戦後再婚した山崎の妻が切り盛りしている飲食店。こぢんまりした店は本日彼らの貸切になっている。そこへ次々と9年前の模擬内閣メンバーが集まってくる。「久米首相」「海軍大臣」など不思議な名称で呼び合う面々に、山崎の妻は不思議な顔をする。山崎は戦前のことをほとんど言わずに亡くなったのだった。そこで、酔った勢いもあって、色々な役を演じながら、彼らは一晩で、総力戦研究所のことや、彼らの知っているあの戦争の内情を山崎の妻に説明する体で、客席に説いていく。
演劇的手法を用いて、大胆に、「帰還不能点」を推論していく登場人物たちの説得力は、彼らの出自にある。総力戦研究所にいたということは、あの当時シミュレーションに必要だったすべての材料を彼らは手にしていたわけで、「帰還不能点」を特定するのに、これほどピッタリの登場人物たちはいないだろう。
それと同時に、それぞれの出身母体においては、決定権を持たない若手だった彼らが、「日本は戦争に負ける」というシミュレーション結果を知りながら、どのように戦中・戦後を過ごしてきたのか、彼らは、本当に何もできなかったのか、ということにも、舞台は容赦なく切り込んでいく。昭和16年に戦争に負けると知った数人の男たちは、当然のようにあの戦争を生き抜いた。その事実を口にすることなく。多くの人々が、勝利を信じて死地に赴いた時、どうにかして生き残る道を探してきたはずなのだ、彼らだけは。
事務方の一人として参加した山崎は、敗戦を自分の責任のように感じ、戦後は人助けに奔走し、自身の体調悪化は放置して、緩やかな自殺のように死んでいった。道子も、山崎に救われた一人だった。


昭和25年現在の彼らが、戦犯として指摘したのは、文人の近衛文麿と松岡洋右。
特に近衛内閣では、中国との講和条件を「閣議決定」で変更、蒋介石が飲めない内容にして、戦争継続(による特需)を図るとか…この当時から、閣議決定でヤバいこと決めてたんだなー[ちっ(怒った顔)]と、現代の問題に繋がる発見もあった。
陸軍も海軍も、上層部は不戦論者が多かった。そんな彼らを動かしたのは、天然ゴムの不足だった。北部仏印(フランス領インドシナ)には既に日本軍が何年も前から入っていて、軍部としては、南部にも入るというだけだから…という認識で、南部仏印への進駐を執拗に求めた。が、これが、アメリカを怒らせることになる。
戦争にイケイケドンドンだった近衛と松岡はこの南部仏印進駐には反対だったという。不思議なものだ。
戦争をすれば負けると言って戦争反対を唱えた陸軍と海軍が、なぜ、近衛・松岡を説得してでも仏印進駐にこだわったのか、それは、組織の存続に関わる時、それが最優先してしまうから、と、芝居は語る。天然ゴムがないと軍が維持できない、その時、冷静に事態を読んでいた陸軍、海軍の目算が狂う。近衛や松岡は、ここまで外交上の失敗を重ねてきたこともあって、軍部の要請を全力で突っぱねることができなかったー


総力戦研究所の話だと聞いて、冒頭の数分間の芝居がずっと続くと思っていた。つまり、舞台は昭和16年のまま進んでいくのだと。しかし、本作は、昭和25年、あの戦争が何であったのか、冷静に分析できる時代を舞台とした。
「このまま行ったら、こんな風に日本は負けますよ」
ということを提示して、ああ、現実に近い結果が出ていたんだな…と、観客に納得させるだけではダメだということなのだろう。この作品が示したいのは、「あれが負けるとわかっていた戦争だった」ということではなく、そういうシミュレーションが出るような、無謀な戦争を「誰がどうして始めてしまったのか」ということだったのだろう。
舞台では、対中戦争の行く先にバラ色の未来を見ていた近衛文麿、ヒットラーに傾倒してドイツとの同盟にこだわる松岡洋右の失策の果てに、ABCD包囲網をくらって、軍部の南部仏印進駐にNOと言えなくなったーというストーリーが大きな点として語られるが、もちろん、その前にも、いくつも分岐点があったように思う。
特に、対中戦争のさなかに、ヨーロッパで戦争をしているドイツやイタリアと軍事同盟を結ぶことで、世界中に、日中の講和を取り持ってくれる国がいなくなってしまったこと、は大きかった。ドイツとソ連の関係の読み違いも大きい。


メンバーが、松岡や近衛、東条などを演じるという設定も、テレビや映画では変に思うかもしれないが、演劇だと、すっと入り込める。演劇ってこういう面白さがあるよね、と改めて感じた。
展開が面白く、あの戦争について、学ぶところも多かった。
それだけでなく、人間としてどう生きるべきか、という問題も、観客に突き付けられた気がする。
終了後、短い一人芝居2編も、作品を補完する意味で、面白く鑑賞した。

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