タイトルの「XXX」、キスという意味があります。
英語の手紙のラストに時々、「XXX」で〆ているものがあって、あれは、「キスをおくります」っていう意味なんだそうだ。「花子とアン」でおなじみの村岡花子さんが、交際中の儆三(のちに結婚)に当てた手紙を、展示で見たことがあるが、見事に「XXX」で〆られていた。
しかし、ここで書くのは、手紙の話ではなく、舞台の話だ。
舞台で、出演者が本当にキスをするようになったのは、ここ十数年の話だ…というのは、皆様、ご存じだろうか
そもそも、日本には、キスの習慣がない。
いや、口吻の習慣があったらしいことは、文献からもうかがえるのだが、どういう間柄の人が、どういう状況で、どんな形の“口吸い”を行っていたか、いまいち、わからない。豊臣秀吉は、息子の秀頼に、しょっちゅう「口吸い」をしていたらしいが、これが、欧米の習慣を取り入れたものなのか、古来、恋人同士で行ってきたものを、わが子&生んでくれた淀君を愛しすぎて、赤ちゃんにも行ってしまったのか、調べれば、なにか手掛かりは得られるのかもしれないが、私としては、誰か調べてくれないかなぁ~と思うレベルの興味だったりする。
キスの習慣がない、と書いたのは、性のプロセスとしてのキス(口吸い)はあったものの、友人・知人と交わす(唇以外も含む)キスの習慣がまったくないということだ。
たとえば、こちらのアツアツのキスシーン、日本の無条件降伏により、第二次世界大戦が終結したニュースが流れ、NYのタイムズスクエアで、水兵の青年が、歓喜のあまり、赤の他人である看護師の女性にキスをした場面を撮影したものだという。
(有名な写真は、ライフ誌の表紙を飾った、女性の片足が宙に浮いているものだと思うが、著作権の関係で、同じシーンを撮影したパブリックドメインとなっている別の写真を掲載します。)
まあ、こういう写真は、なかなか日本ではお目にかかれないんじゃないかと思う。それは、民族としての習慣の違いで、致し方ない。
ところが、戦後、「民主主義を広めるために、映画にキスシーンを入れるように」という命令が、GHQから下る。なんか、もう意味が分からないが、1946年公開の『はたちの青春』という映画の中にキスシーンが盛り込まれる。
この時は、キスする二人の唇の間にこっそり、オキシドールを含んだガーゼを挟んでいたという撮影秘話が残されている。
それ以来、映画やドラマでは、キスシーンは、だんだん当たり前になっていったが、舞台では、それほど当たり前ではなかった。というのは、実は、メイクが関係している。それでなくても、厚塗りの舞台化粧。キスシーンで本当にキスをしたら、女性の口紅が男性に付くし、女性のメイクも崩れてしまう。
また、遠目の舞台で、わざわざ本当にキスして誰得みたいなこともあったのだろう。
しかし、リアリティ追求や、映画・テレビ俳優が舞台に出るようになって違和感を感じたりしたこともあったのだろう…だんだんと、フェイクでないキスシーンが誕生するようになる。大物女優さんが、若手の男優にリアルにキスをしてくれて、感動した…などとインタビューで読んだ記憶がある。
ただ、この時点では、メイクの問題は解決していないので、基本的に、キスの後、暗転という設定が不可欠であった。
その後、21世紀を迎え、「落ちない口紅」という必殺アイテムが世に出回るようになり、ミュージカル界に小池修一郎が華々しく登場した辺りから、いつの間にか、「舞台でもキス、当然」という文化が、ものすごい勢いで浸透していくようになる。
もちろん、出演者それぞれに「NG」があるので、キスNGの出演者だっているし、そこを強要するわけではない。ただ、「大人の俳優ならキスシーン当然」みたいなムードだったり、演出家が求めるものに応えなければ…みたいな俳優側のプレッシャーが、この文化を加速させていったのではないか、と推察する。
と・こ・ろ・が
コロナ禍の中、これまで普通にキスしていた作品の再演公演で、当たり前のように、「フェイクのキス」が登場している。安全第一、ということなのだろう。
あれだけ顔近づけて芝居してるのに、キスしてもしなくても変わらないんじゃないか、とも思うが、みんな、とてもフェイクのキスが上手なので、(宝塚の専売特許かと思っていた…)別に本当にキスしなくてもいいんじゃないかな~と思った。
前々から、舞台のキスには懐疑的なんですよ、私。
「RENT」とか、絶対的にそれが必要な作品は、もちろんあるのですが、それは、逆に口紅がぐじゃぐじゃになることで感動できる…みたいな特殊な状況なんじゃないかな…と。
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