「キオスク」
作:ローベルト・ゼーターラー
翻訳:酒寄進一
演出:石丸さち子
美術:石原敬
照明:影山雄一
音響:清水麻理子
音楽:森大輔
衣裳:前田文子
ヘアメイク:中原雅子
振付:舘形比呂一
アクション指導:明樂哲典
演出助手:元吉庸泰
舞台監督:瀧原寿子、篠崎彰宏(12月稽古時)
こちらの写真は、最終公演地、静岡の劇場を出たところの景色です。千秋楽終了後、まだ、興奮冷めやらない中、ペデストリアンデッキから、撮影しました。
ゆうひさんのおかげで、素敵な場所をたくさん訪問できて、幸せだな~と思ったひとときでした。
「キオスク」は、ローベルト・ゼーターラーの書いた小説が原作。
ゼーターラー氏自身がこの作品を戯曲化し、昨年、石丸さち子さんの演出で、リーディーング公演が上演された。その時の出演者を一部残し、新たに出演者を増やして上演されたのが、今回の公演となる。
今回の公演の特徴は、8人の出演者が、30を超える役を演じることにある。これは、最初の公演がリーディングだった影響かもしれない。リーディングなら、少ない出演者で多くの役を演じるのは普通だからだ。
さらに面白いのは、主要な役以外をアンサンブルが演じるのではなく、すべての俳優がメインであり、サブであるという配役を貫いたところ。そのおかげで、ゆうひさんが、8役を演じる…という面白い舞台を観ることができた。
なにもない舞台に出演者全員が一列に並んで、作品の紹介ソングを歌うところから、物語は始まる。
この作品では、キオスク(新聞販売所)の建物と、様々な「家」として使われる、入口と、人二人入れば満員になりそうな小さなスペースのついた「家の一部」みたいなセットのふたつが、必要な時に登場するくらいで、あとは、人が屈めば通れるくらいの「枠」とか、出演者が手で押してセットする「バナー(そこに建物の絵が描いてあったり…)」などで、装置を表現する。必要に応じて、出演者を幕の後ろに配し、白幕に影を写して影絵で場面を表現することも。そのため、場面転換が容易でスピーディー。
けっこうな回数を観劇したが、まったく飽きることない見事なエンターテイメントだった。
1937年、オーストリアのザルツカンマーグート地方、アッター湖のほとりから物語は始まる。
17歳のフランツ・フーヘル(林翔太)は、母のマルガレーテ(一路真輝)と一緒に暮らしていた。ある日、プライニンガー(吉田メタル)という男が湖で溺死する。レストランでウェイトレスをしているマルガレーテは、恋人であるプライニンガーから経済的な援助を受けていたため、彼の死によっていきなり困窮する。
そして、若い頃にワケアリだったっぽい、オットー・トゥルスニエク(橋本さとし)に手紙を書き、フランツをしばらく住み込みで預かってほしいと頼む。ことは、フランツの知らないところで決まり、彼は、心の準備もできないまま、ウィーン行の汽車に乗ることになる。
オットーは少し気難しいところもあったが、フランツをあたたかく迎え入れてくれる。彼は、先の大戦で国に片足を捧げたことと、キオスクの店主であることを誇りに思っていた。フランツは、常連客の名前と、彼らが毎日手にする新聞、タバコ(時にエロ本)を少しずつ覚え、日々の生活について、母に絵葉書を送る。それが、母との約束だった。
ある日、店に帽子を忘れていった客、フロイト教授(山路和弘)を追いかけて帽子を返したフランツは、彼の精神分析への興味を率直に訴え、自分はどうしたら、彼のソファに座れるか、と尋ねる。(彼の患者は、彼の家のソファに座るのだと、オットーは言っていた。)まだ少年のフランツからの言葉に、教授は苦笑しながら、人生を楽しみなさい、恋をしなさい、と助言する。
寂しさに耐えかねたある日、フランツは、プラーター公園で一人の少女(上西星来)に出会う。その日から、恋の虜になったフランツは、時々、店の葉巻を自腹で手に入れては、教授のもとを訪ねるようになる。
一人の少年の、ごく普通の青春物語は、途中から大きく変貌する。ナチス・ドイツが台頭し、親ナチス政権となるか、独立を保つか、国民投票が行われる。投票以来、事態は、急速に悪化していく。人種・思想にかかわらず、平等に接客をしていたオットーのキオスクは、動物の血でいたずら書きをされるようになり、フロイト教授はユダヤ人だったから亡命することになり、とうとうオットーが逮捕されてしまう。
原因はわからないが、一度も面会できぬままに、オットーの死が伝えられる。逮捕以来キオスクを守ってきたフランツは、大胆な行動に出るが、その結果、彼自身も逮捕される。
時は流れ、1945年のある日、ウィーンを襲った空襲の中、舞台は突然、終了する。いまだアッター湖に住んでいるであろうマルガレーテの絶叫を残して。(なんか、たぶん、バッドエンドなのはわかったよ…)
一人の少年の瑞々しい気持ちの動きが、ほほえましく眺められる前半と、痛々しくて見ていられない後半と、観ているこちらの心も大きく揺り動かされた。
特に、ハッとさせられたのは、この物語が、「戦争中」の物語ではないところ。
戦争中、人々の心がどんどん狭量になり、ちょっとしたことで、リンチのようなことが起きたり…みたいなことは、日本を舞台にしたドラマでもよく出てくるが、そういう兆候は、戦争に突入するより前から始まっているんだな…と、あらためて、思い知るような作品だった。
ナチス・ドイツが登場する作品は、日本でも安易に作られているが、やはり、本場の人が書いた戯曲は、全然違うと思った。たとえば、この「ベルリンの東」とか。本作も、そういう重みを感じる作品。それでいて、人間の逞しさだったり、どんな極限でもユーモアを忘れない姿だったりに、心が洗われもして。
コロナ禍の中、兵庫県芸術文化センターから公演は始まった。どこで中止になってもおかしくない状況が、どこかあの狂気の時代にリンクしているようで、必死に追いかけた。この美しい景色を無事に見ることができて、本当に幸運だったと思う。
2021年最初のゆうひさんがこの作品でよかったな~
出演者感想は、別記事で。
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