日本百名城のひとつ、山中城に行ってきました
JR三島駅で下車すると、美しく雪をかぶった富士山が出迎えてくれた。
目指す山中城は、この三島駅から、バスで30分以上(途中から山道に入る)揺られた先にある。なかなか、そんなところまで行く人は少ないだろうと思っていたら、同じバスを山中城跡で下車した方は、片手を超える人数…同好の士が増えてる感
山中城は、関東の雄、北条氏の城。
秀吉の小田原攻めの時、秀吉軍の総攻撃を途中で迎え撃つために整備された。しかし、増築が未完成のまま、四万の豊臣勢が押し寄せ、わずか半日で落城したとのこと。
山中城の大きな特徴は、石垣が一切ない、土塁の城であるということ。
冬なので、こんな景色。
春~夏は、緑の芝生とツツジなどの花が美しいそうだが、小田原攻めを迎え撃った頃は、すべて土だけ。
関東の土は、皆さんおなじみ「関東ローム層」なので、めちゃめちゃ滑る。
こんなに細かく空堀を掘られたのでは、戦意喪失間違いなし。
もうやだーと思って、周囲を見渡すと、これが絶景なんですよ。思った以上の勾配に、しょっぱなからグロッキー気味になりつつ、空を仰ぐ私でした。
右の方、土が剝き出しになっているのが、わかるでしょうか?よく滑るだろうな~
左側に浮き出しているのは、畝状に残された部分です。
もう、ほぼほぼ、畝堀と障子堀しかない
半日で落城したのは、四万VS四千の数の論理だけで、豊臣軍も、この空堀群には、だいぶ犠牲者を出したのではないだろうか。
あ、もちろん、すべての場所が、凸凹しているわけではなく、城としての機能もいろいろ残っている。
こちらは、馬出(うまだし)です。
奥側の盛り土が角になってますよね。武田氏は丸馬出ですが、北条氏は角馬出なんですね。
どちらも一長一短あるらしいです。
こちらは、絵に描いたような、畝堀。
ここに落ち込んだら、矢で射られなくても、這い上がれずに死ぬわ…
百名城を巡るようになって、次は、どこの城に行こうかな…と、わくわくポケットガイドを見始めた頃から、山中城は気になっていたのですが、来てみたら、想像以上にえげつなかったです
そんな、畝堀のど真ん中に、この石柱。
これぞ、山中城ってことなんでしょうか
西櫓(左側)から向かい側に向けて橋が架けられていたらしい、跡が残っているようです。
味方は、橋の上から、足元の障子堀に落ちた敵を狙い撃ち…
恐ろしいわ
ぐるっと回り込んだ先に本丸。
不思議なのは、本丸からは、富士山が見えないこと。本丸に城主が住むんだと思うのだけど、富士山、見なくてよかったのかな
富士山が見えない本丸側の景色は、こんな感じ。
普通の山城なら、十分な景色ですけどね。
道路の反対側にある岱崎出丸の御馬場堀というのが、こちらです。これも一種の畝堀ですね。
ここからは、富士山がよく見えます。
岱崎出丸には、一ノ堀という最大の畝堀があったらしいのですが…なぜか、そこをスルー(反対側の道を普通に歩いていた)した私…これを書くに当たって、地図を見ていて気付いた…
岱崎出丸の裏側には、箱根旧街道が。ここを秀吉軍は行軍してきたんですね…
バスは1時間に1本しかない。
三島駅からは毎時15分に出発、山中城跡からは毎時40分に出発。
私が来た時、同じバスだった皆様は、同じバスに乗って三島に向かっていった。滞在時間は、2時間弱かな。
三島駅に着いたら、もう1時を回っていたので、お寿司を一気に平らげました
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