三井住友カードミュージカル
「アナスタシア」
脚本:テレンス・マクナリー
音楽:ステファン・フラハティ
作詞:リン・アレンス
潤色・演出:稲葉太地
音楽監督・編曲:太田健
編曲:高橋恵
訳詞協力:高橋亜子
音楽指揮:御崎惠
振付:御織ゆみ乃、若央りさ、平澤智、百花沙里、三井聡
擬闘:清家一斗
装置:國包洋子
衣装:河底美由紀
照明:氷谷信雄
音響:山本浩一
小道具:三好佑磨
歌唱指導:KIKO、西野誠
映像:石田肇
演出助手:町田菜花、栗田優香
舞台進行:庄司哲久
プロローグのアニメーションで思い出した。そうだ、これは、ディズニー作品だった
本作もオーケストラは録音となっているが、コーラスが重要なミュージカルであるため、指揮だけは、御崎惠先生が、生で、タクトを振っている。そのため、開演アナウンスも「指揮・御崎惠により、開演いたします」となっている。
しかし、「宙組の真風涼帆です」の後に大きな拍手はあったが、「指揮・御崎惠により開演いたします」の後には、なにも起きなかった。
私が、開演前の拍手について、記事を書いたのは、2018年の2月なので、3年の間に、事態は大きく転じてしまったことになる。その時の記事です。月組公演「カンパニー」では、開演アナウンスに拍手が起きない演出を無理矢理作っていた。それから3年で、どんな演出だろうと、「開演アナウンスの名乗りの時に拍手をして、その後は拍手をしない」ことがデフォルトになってしまったらしい。30年以上続いたことも、あっという間に変化するんだな…と、しみじみ思う。
「アナスタシア」は、ロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ二世の一家がロシア革命によって惨殺された後、アナスタシア皇女だけは生きているのではないか…という噂が立ち、我こそは…という自称皇女が、何人も現れたという事実に基づいて創作された物語だ。
最初に事実を書いてしまうと、2007年に皇帝一家全員の遺骨が確認されたことにより、(それまで、皇太子と皇女の一人の遺骨が発見されていなかった)皇帝一家は全員が殺害されたということが、既に分かっている。
ただ、2007年に確認された…ということは、90年近くも、生存説が流布していたわけであり、そりゃ、物語にもなるよな…と思う。
映画「追想」では、イングリット・バーグマンがアナスタシア役を演じている。この映画では、既に、ロマノフ家の莫大な財産目当てに、男が、一人の女性をアナスタシア皇女に仕立てて皇太后にお目通りさせることに成功するが、実は、その女性が本物の皇女だった。が、男と皇女が本当に愛し合ってしまったため、皇太后は二人を自由にさせてあげる…という、まあ、ほぼ今回の舞台と同じストーリーが展開されていたらしい。
宝塚でも、植田紳爾の作・演出で1981年に「彷徨のレクイエム」という作品を上演。これがアナスタシアの物語だったらしい。(麻実れい・遥くらら・寿ひずるらが出演)
舞台は、5歳くらいの少女だった頃のアナスタシア(天彩峰里)が、祖母のマリア皇太后(寿つかさ)と寝室で語る場面から始まる。祖母は、5人の孫の中で、とりわけ、四女のアナスタシアを溺愛していた。が、パリに行くという祖母に「一緒に行きたい」というアナスタシアの望みは拒絶される。
いつか、一緒にバレエを見ましょう、おじいさまの名前が付けられた「アレクサンドル三世橋」を見ましょう…と言うだけで、一緒に連れて行ってはくれない。もちろん、ロシアという大国の皇女であるアナスタシアが、父の許しもなく、そう簡単に外国に住むことは難しかっただろう。(現実には、マリア皇太后も、パリに住んでいたわけではなく、ロシア革命が起きた時点でも国内の離宮に住んでいた。)
その代わりに、アナスタシアは、小さなブルーの陶器で作られたオルゴールをもらい、その曲に合わせて、祖母と共に子守唄を歌うのだった。
アナスタシアの両親は、皇帝ニコライ二世(瑠風輝)と、皇后アレクサンドラ(美風舞良)。父は、小さなアナスタシアをレディーとして扱い、ダンスを申し込んだりしている。この時、アナスタシアが、レディーっぽく、自分のフルネームを言うのだが、「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノフよ」というのが、ロシア語を勉強したことのある身としては、すごくすごく違和感
ロシア語では、男性と女性で名字が語尾変化をするので、女性であるアナスタシアは、ロマノフではなく、ロマノヴァになる。男性と女性では、名字だけでなく、「父称」と呼ばれるセカンドネームも違う。「父称」は、父の名で決まる。アナスタシアの父は、皇帝ニコライなので、女性であるアナスタシアは、父称が「ニコラエヴナ」になるが、弟の皇太子アレクセイは、「ニコラエヴィッチ」となる。
ロシア文学の翻訳、舞台化では、いつも、この「名前」がネックになる。当然、ロシア語の機微を知らない観客のため、姓を男女で統一しようとする考え方も出てくるだろう。その場合、アナスタシア・ロマノフなら、まあ、仕方ない…とため息まじりに項垂れるレベルだが、「ニコラエヴナ」と父称を入れると、父称の女性形(‐エヴナ)と名字(ロマノフ)の男性形が正面衝突して、耳がザワザワしてしまう。
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノフ…ほんと、無理…これは最後まで慣れなかった。(アメリカ発の作品は、わりと、こういう他国の名前文化を軽視するものが多いのよね…。宝塚でやる場合は、色々な国の色々な時代の作品を上演しているので、配慮してもいいんじゃないか…と思うけど。)
そもそも、フルネーム文化圏じゃないし、そのための父称だし(ロシア語では、丁寧に“〇〇さん”と呼ぶ時の呼び方が、名前+父称。)
1917年、アナスタシア(星風まどか)は17歳の本物のレディーに成長している。舞踏会で立派に振舞うアナスタシアのそばには、オリガ(愛海ひかる)、タチアナ(水音志保)、マリア(潤花)の三人の姉と、弟で皇太子のアレクセイ(遥羽らら)がいた。しかし、突然の爆発音がすべてを変える。ボリシェヴィキが宮殿を襲ったのだ。逃げる途中で、祖母からもらったオルゴールを思い出したアナスタシアは、取りに戻ったが、そこで大きな爆発に巻き込まれー
パリでは、マリア皇太后が、皇帝一家殺害を知り、激しいショックを受ける。
ロシア革命が成功した後の、混沌としたサンクトペテルブルクの街。ディミトリ(真風涼帆)は、ボリシェヴィキに追われるヴラド(桜木みなと)を助ける。
そして、それから10年、新政府の役人、グレブ・ヴァガノフ(芹香斗亜)が、民衆に向かって演説しているが、既に民衆の心は冷えている。革命が起きても、人々の生活は楽にはならなかったらしい。
熱心に働く掃除婦アーニャ(星風)は、爆発音を聞き、うずくまる(爆発にトラウマがあることがわかる)。グレブは、彼女を助け、落ち着かせる。その時、どうやら、グレブは恋に落ちたらしい。わかりやすい猫なで声で、何かあったら相談に乗るよ~と言うが、アーニャはさらに怯えるばかりだった。
…と、コーラスによって噂が流れてくる。殺害された皇帝一家の末娘、アナスタシアが生きているらしい…という噂だ。もし、アナスタシアを探し出したら、元皇太后のマリアから莫大な報奨金をもらえるらしい。
ディミトリの頭の中に、ひとつの計画が生まれる。今や、相棒となったヴラドと共に、報奨金をかすめ取る計画だ。そして、蚤の市で「それらしい」オルゴールを見つけ、次にアナスタシアに仕立て上げる女性を探し始めるが、“街の女”では、とうていそれらしくは見えなかった。
そんなところへ、「出国許可証」がほしい…と言って、アーニャが、二人が根城とするユスポフ宮殿の元劇場(廃墟)を訪れる。アーニャを一目見て、ヴラドは、何かを感じる。パリで誰かが待っていると語る記憶を失くした女性ーディミトリも、彼女なら、アナスタシアになれるかもしれない…と感じ始める。
アーニャは、この場所に来たことがある…前は劇場だった…などと、不思議なことを言い始めるが、二人は、アーニャが本当にアナスタシアかもしれないとは、この時点では夢にも思っていなかった。
ヤミで手に入れることができる出国許可証の値段はつり上がるばかりだった。どうやら、自由に出国できなくなるらしい。
アナスタシアになるためのレッスンを重ね、様々な困難をともに乗り越える中で、三人の中に連帯感、そして、ディミトリとアーニャの間には、さらに深い思いが生まれていた。アーニャは、ずっと隠し持っていたダイヤモンドをディミトリに渡し、これで一緒にパリに行ってほしい、と言う。
パリに向かう最後の列車。そこには、貴族や知識人が自由を求めて集っていた。三人は、バレエ・リュスの一行として列車に乗った。が、途中、イポリトフ伯爵(凛城きら)が秘密警察に撃たれ、また、アナスタシアを騙るためにパリに向かおうとしている三人組も探されていた。三人は、列車から飛び降りる。
三人が国境を越えたことを知った政府により、グレブは、パリ行きを命じられる。グレブの父は、皇帝一家の銃殺を行った人物。だから、生き残りがいたとしたら、グレブが始末をつける必要がある…ということらしい。
パリでは、たくさんのニセモノに心を折られたマリアが、秘書役のリリー(和希そら)に、もう、アナスタシアを名乗る娘には会わないと宣言する。
さて、このリリー、貴族の世界にたくみに入り込み、彼らとの交際で生計を立てていた、革命前のヴラドとは、当時、“いい仲”だった。夫のある身でも恋愛は別…そんなリリーとヴラドは、長い別離を経て、お互い分別のつく年齢になっても、すぐに関係が復活するのだった。
とはいえ、一度、深い悲しみに沈んだマリアとアーニャを会わせるのは、並大抵の苦労ではない。
パリの劇場で上演されるバレエ「白鳥の湖」の後、アーニャはマリアと面会することを許される。しかし、顔も見てもらえなかった…と、アーニャは落胆して戻ってくる。そんな姿を見て、義憤にかられたディミトリは、現れた元皇太后に対して、失礼な態度も顧みずにストレートに思いをぶつける。
心を動かされたマリアは、アーニャの部屋を訪れ、そこでオルゴールを見つけ、音楽に合わせてアーニャと子守唄を歌い、彼女が本物のアナスタシアであることを知る。
ディミトリは報奨金を受け取らずに場を辞し、アーニャは、マリアの孫としてのお披露目を迎えることとなった。
そこへグレブが現れる。アーニャに銃口を向けるグレブの前で、アーニャは敢然と胸を張る。グレブは、アーニャを殺せず、その場を去る。
ディミトリが去ったことを知ったアーニャは、皇太后の孫として社交界に出ることより、ディミトリの後を追うことを選ぶ。アレクサンドル3世橋の上で、再会したアーニャとディミトリは永遠の愛を誓うのだった。一方、マリアは、アナスタシア捜索の懸賞金を打ち切り、そのお金を寄付することを発表、そして、グレブは、ロシア政府に対して、アナスタシアは生存していないという結論を報告する。
ベースにある物語は、映画「追想」なんだな…と、しみじみ思ったが、新政府の優秀な役人にして、皇帝一家を銃殺した男を父に持つグレブという男を登場させたことで、サスペンス性が付与され、よりエンターテイメントとして面白くなっている…ハズ
なのか…
コロナのせいで、観るはずだった梅芸版を観られなかったので、いまいち分かっていないが、少なくとも、私には、グレブの存在がかなり微妙だった。
アーニャとグレブが対峙する場面が、この作品の肝であり、グレブの存在が、アーニャを祖母の元から去らせる…という結論にすることはできなかったのだろうか私なら、そういう方向性を考えるけどな…。
報奨金目当てのディミトリと違って、アーニャにとって、これは、「自分探し」の旅だった。そして、自分が何者であるか、をようやく知ることができたアーニャは、もとのアーニャに戻ることはできない。
その一方で、記憶をなくし、厳しい環境を生き抜いてきたアーニャは、革命に至るまで、ロシアの民衆がどれだけの生活を強いられてきたかも知っているし、どれだけ皇帝一家が恨まれてきたかも知っている。(ついでに言えば、ロシア民衆の貧しさは皇帝一家のせいではなく、上が変わっても何一つ変化がないことも知っている。)
皇女アナスタシアの存在は、老齢のマリアと違って、ヨーロッパ各地に潜伏している白系ロシア人を蜂起させるに十分だということも知っているだろう。
だからー
元のアーニャとして生きるなら、見逃すと言うグレブと、どうしても…というなら、私を撃ちなさい、と言うアーニャ。この対立は、当然の結果だった。
結局、グレブは、アーニャを撃つことができない。
それに対して、アーニャができる精一杯の回答は、公的にアナスタシアであると発表しないこと。それは、愛する祖母との永遠の別れにもなるのだけれど。
たぶん、稲葉先生は、祖母の下で生きていくことと、ディミトリとの人生を生きることの二択の中で、ディミトリを選択したーという終わり方にしたかったんだろうな…という気がする。それは、愛かお金かの二択で愛を選ぶことだから。
しかし、マリアのセリフを聞くと、彼女は、ディミトリを拒絶していない。
ロシア帝国の皇太后であれば、ディミトリなどと孫娘を結婚させるなんて「とんでもない」ことだろうが、彼女は、自分が、パリの地で、地位ではなく、お金と知名度で生きていることを理解している。だから、孫娘が相思相愛の人と結ばれるのであれば、それでいいと思っている。
なので、自分の愛に気づいていないアナスタシアに、そういう謎かけをして見せた。(もし、二択なら、こんな悲しいことを幸せそうに言いはしないし、その後にお披露目の準備もしないだろう。)
アーニャが、ディミトリを追おうとしたのは、その時だったが、祖母に別れを告げようと思ったのは、グレブとのことがあったからだ…と、思う。
そんな表現してくれたらな~というのが、けっこう不満。
まあ、グレブさん、帰国しても、失脚せず、殺されもしなかったので、本当によかったです。
あと…オルゴール、蚤の市で見つけたやつがビンゴって、どんだけディミトリ、「持って」いるんでしょうね
ところで、グレブさんというお名前、めずらしいな~と思ったら、2010年代の初め頃に、少し流行ったことがあったという記事を見つけました。古いスラブ系の名前のようですね。
ディミトリやヴラディーミル(ヴラド)は、ポピュラーネームですが、両方とも、ジーマ(ディーマ)という愛称があるみたい。よっ、仲良し
ディミトリは、ほかにミーチャ(カラマーゾフの兄弟)という愛称もありますね。ヴラディーミルは、ヴァロージャがポピュラーかな。どちらにしても、ロシア人の愛称って、英米と比べて、種類は多くないし、想像もつくので、愛称を聞いて、驚いたり、なぜ知っているのかと訝しく思うものではないんですよね。
あ、そういえば、以前、どこかの総理が、一方的に大統領を「ウラジーミル」呼びしてましたが、本当に親しければ、愛称を呼ばせてくれると思うのよね
出演者感想は、あらためて別記事で。
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