大河ドラマの主人公、明智光秀の築城した福知山城に行ってきました
ゆうひさんの舞台を観た後、阪急電車で宝塚まで行き、JR線に乗り換え、篠山口駅まで行って宿泊、翌日、福知山線に乗って、終点の福知山駅まで一時間の旅。
車内には、大河ドラマ「麒麟がくる」のビジュアルを利用したJR西日本の吊り広告が。
実は、福知山に行く途中、“黒井”という駅名を聞き、調べてみたら、黒井城(これも光秀関連の城)の最寄り駅。一瞬、途中下車しようかと思ったものの、天候を考えて自重
(黒井城は山城なので、雨天の登城は無理)
さて、福知山城は、JR福知山駅から、徒歩15分くらい。あいにくの雨だったこともあり、静かな訪問となりました。
こんな風に、「明智光秀が築いた城下町」アピールが激しい…
10分ほど歩いていると、前方に見えてきました。
何度経験しても、このウキウキしちゃう感じがたまらない。少し早足になったりして。
福知山城は平山城なので、到着するまでは平地。
でも、城に着いたら、わりと急勾配になる。石段の城が多いが、福知山城は、坂道だった
見上げると、石垣が迫ってくる。
ここで撮影したのは、ここで読まれた一句が表示されていたから。
「秋天を蹴り上げてゐし城の鯱」
見上げたら、本当に蹴り上げてた。
案内看板的なものが、どれも、センスいいなぁ~
(この写真は、クリックしたら、大きなサイズで表示されるようになってます。)
ひぃひぃ言いながら、坂道を上りきると、いきなりの天守閣
福知山城は、城郭のすべてが残されているわけではなく、昭和に再建された天守閣と、石垣、移築された銅門番所しかない、すごくシンプルなお城。
天守閣は、郷土資料館になっていて、こちらも見ごたえがあった。
こうして眺めると、天守の上には、二尾どころじゃない(たぶん四尾)鯱がいるような気がする…
すごい大サービス
この角度からは見えないが、三層四階、小天守と続櫓も備えた造りになっている。市民の寄附(一口3千円で、合計5億円の寄附金が集まったとのこと)によって再建された。
残念ながら、望楼の外には出られない(窓から眺める感じ)が、京都府で唯一天守閣のある城なのだとか。
こちらは、移築されたと書いた、銅門番所。
福知山城は、明治の初めには廃城となっていて、こちらの銅門番所は、現在の市役所の辺りにあったものを、大正期に天守台に移築、昭和期、天守を再建する時に、この場所本丸内)へ移築したもの。
往時をしのぶ唯一の建造物。
(この写真も、クリックで大きなサイズになります。)
手前の井戸が、豊磐井と呼ばれる井戸で、福知山城が朽木家の居城であった時代のもの。
(この写真も、クリックで大きなサイズになります。)
光秀が築城した福知山城は、本能寺の変の後、有馬氏、岡部氏、稲葉氏などあわただしく城主が代わり、1669年に朽木氏の城となってからは、13代200年間の安定した治世となったようです。
天守望楼からの景色です。
大江山はこちらの方角らしいです。なんだか、禍々しい景色になってますね。
そして、こちらをご覧ください。
福知山城の石垣は、一番古いタイプの石垣で、野面積みという石をそのまま積んだものが多いのですが、特に大きな特徴として「転用石」といって、お寺で使われていたものを利用したりしています。
500以上の転用石が確認できるのは、全国でも福知山城だけなんだとか。
ここの石垣は、光秀時代のものらしい…ということは、光秀さんって、もったいない精神の方だったのかしら…
ここの石垣の自然なカーブに、心惹かれた旅の終わりでした。
「麒麟がくる」の福知山光秀ミュージアムも2月7日まで開催しているということで、一緒に見てきました。大河ドラマ関係のものも展示されているため、撮影は禁止なのですが、最終回に向けて、気合が入る展示の数々を楽しめました。
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