ミュージカル「プロデューサーズ」観劇

ミュージカル
「プロデューサーズ」


脚本:メル・ブルックス、トーマス・ミーハン
音楽・歌詞:メル・ブルックス
オリジナル振付:スーザン・ストローマン
日本版振付:ジェームス・グレイ


演出:福田雄一
音楽監督:八幡茂
翻訳・訳詞:土器屋利行
美術:二村周作
照明:高見和義
音響:碓氷健司
衣裳:生澤美子
ヘアメイク:富岡克之(スタジオAD)
音楽監督補・指揮:上垣 聡
歌唱指導:山川高風、やまぐちあきこ
稽古ピアノ:宇賀神典子、宇賀村直佳、石川花蓮
オーケストラ:東宝ミュージック、ダット・ミュージック
演出助手:伊達紀行
舞台監督:菅田幸夫
振付助手:青山航士、吉元美里衣、福田響志
制作助手:廣木由美、土器屋利行
プロデューサー:岡本義次、田中利尚
宣伝美術:服部浩臣(COM Works)
宣伝写真:HIRO KIMURA


製作:東宝


前回、「プロデューサーズ」を観たのは何年前[exclamation&question]出向中だから、少なくとも、10年以上前なのは間違いない。


ということで、ブログ内検索をしてみたら、なんと、2005年=15年前に、来日版と井ノ原快彦&長野博主演版の両方を観劇しておりました。
そして、その時の感想を読んでビックリ[exclamation×2]今回の感想、書かなくてもよくない[exclamation&question]…ということで、14年前の感想を軸に今回の舞台感想を書いていきたいと思います。15年前の感想は、引用枠の中に入れて区別して書いていきますね。



日本風にかなりアレンジしたショーを予想していたが、来日公演とほとんど変わらない内容だった。舞台セットや衣装がまったく同じイメージだったのは意外だった。ブロードウェイもそれだけ、このショーに自信を持っていて、日本オリジナル演出を許さない環境にあったのかもしれない。


というわけで、あの、面白いんだけど、服の上から背中を掻くような、字幕を見る作業がない分、もっともっと楽しめる!と、わくわくしたのも束の間、始まって1分もしないうちに、唖然とした。 歌詞が全然聞き取れない! これだけ聞き取れないのは、5月の「NINE」以来。
最初のコーラスからして、抱腹の連続だってのに…。



まず、日米で舞台セットや衣装が変わっていない…という事実[exclamation]
この時、「オリジナル演出を許さない環境」かと思っていたが、今回の版を作成するにあたり、演出の福田雄一氏が、ブロードウェイ版を観て感動した自身の体験から、できるだけ忠実に作りたかったと語っていたのを考えると、制作サイドがブロードウェイ版を愛していたことが原因だったのかも…と思った。
ちなみにブロードウェイ版来日公演の感想はこちら。このあまのじゃくの私が、これだけ絶賛するのだから、誰が観ても面白い作品なんだろうと思う。実際、映画も大ヒットしたし。



かつての人気もので、いまや落ち目のプロデューサー、マックス・ビアリストック役は、井ノ原快彦。
この役は中年を過ぎた役者のものだと痛感した。
若い井ノ原がこんなプロデューサー役を演じることに違和感を抱かなかった制作陣には猛省を促したい。なぜなら、若いプロデューサーは、こんなことを考えてはいけないからだ。もし、若いプロデューサーが、成功より金を選ぶような物語だったら、この作品は決して成功していないだろう。
もちろん、井ノ原には責任はないし、彼は、精一杯老練なプロデューサーに扮して頑張っていたと思う。その憎めない風貌が、作品を皮肉な方向に持っていかなかった功績もあるし、本当に本当にあの難しい役に体当たりして、えらかったなぁ…と思っているのだけれど。



今回のマックス・ビアリストック役は、井上芳雄
中年を過ぎた役者…ではないかもしれないが、当時の井ノ原に比べれば、40代の井上は、プロデューサーとしてある程度の経験値があるイメージ。
とはいえ、「若いプロデューサーはこんなことを考えてはいけない」みたいなことは、今回、全然考えなかったな。
やはり、エンタメの当事者だった時代と、今とでは、エンタメ業界に生きる者の倫理についての感覚が違っているのかも。100%観る側になった今は、それほど彼らの責任とか倫理感に興味はなかったりして。



相方の長野博。彼は、会計士→プロデューサーという転身を図る男。気が弱くて、誠実で、生真面目な役にぴったりと嵌まっていた。
実は、こちらも原作は中年のキャラである。が、これは若い長野でかまわない。会計士なんて5年もやればやさぐれてくる。マックスとの間に年齢差があってもさほど気にならない。 



レオ役は、大野拓朗吉沢亮のWキャスト。私が観劇したのは、吉沢が出演する公演。ミュージカル初出演とのことだったが、井上の手のひらの上で、楽しそうにレオを演じている姿が印象的。
本格的なダンス場面はなく、歌もミュージカル歌唱ではなかったが、それはまあ、許容範囲。小柄なので、あまりかっこいい感じはしなかったかな。



オーディションに訪れる、スウェーデン美女、ウーラ役、彩輝直。うわーっ、綺麗!北欧美人という設定の為、一人だけヅカメイク。そして、露出過多の衣装。 腰は振るわ、胸は揺するわ…元タカラジェンヌじゃなければ、興奮していたかもしれない。



ウーラ役は、木下晴香。若くて可愛くてセクシー、しかも歌が抜群に良い。ダンスも軽やか。目が離せないスター性。彼女の存在が、この作品を何倍にも引き上げていた。
しかし、一方、これだけオーラのある女性を見て、彼女を採用したら、一気にスターダムに乗るだろうと予想できなかったなんて、ビアリストック、本当にダメじゃん…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]という気もした。



「手の人」岡幸二郎。 これは来日版も同じだが、演出家の公私共に陽気な(Gay)パートナー・カルメン役(岡)は、伸ばした手先だけを残して退場する。演出家の藤木孝との陽気な(Gay)カップルぶりは、平成の大怪演と言えるだろう。 藤木の演出家が実に面白い。彼は、アクシデントにより、初日にヒットラーを演じるハメに陥るが、そのヒットラーの演技も素晴らしかった。この人を得たことで、作品は辛うじて成功と呼べる気がする。



ビアリストックが決めた史上最低の脚本、「ヒットラーの春」を演出する、最低の演出家と振付師のコンビは、吉野圭吾木村達成。二人のコンビは、とても良かった。
が、演出家の家に集う陽気な(Gay)面々のナンバー、“Keep It Gay”を、「[るんるん]おねえで~[るんるん]」と訳された時は、脳が沸騰するかと思った。しかも、メンバーには、男装の女性キャラ(可知寛子)もいる。「Gay」というワードは同性愛者(広義にはレズビアンを含む)を指すが、「おねえ」というワードは、日本の業界用語であり、レズビアンを包括する用語ではない。
実は、このナンバー、来日公演を観た時に、すごく感動したナンバーだっただけに、本当に悔しいな。



桑野信義の脚本家は…別に彼である必要はなかった気がする。体型的にはぴったりくるものがあったけど。特にオーディションで歌った曲のインパクトが弱かったんだよね、来日公演に比べて…。



佐藤二朗の脚本家は、たしかに彼である必要はなかったかもしれない。そして、体型的にぴったりくるものはあった。なんだけど…曲のインパクトはあったし、この、ちょっとヤバい人を主役に起用することで、作品は間違いなく初日クローズになる[exclamation]と、観客が思える点で、佐藤の起用は大正解。
この際、もっとミュージカルに出てみては[exclamation&question]なんて思った。



「抱いて触って」の好色おばあちゃん(松金よね子)。彼女がこの作品の良心かなぁ…。露骨じゃない巧みな演技が光っていた。でも彼女に歩行器を使ったダンスのセンターをやらせた為に、オリジナルのダンスがだいぶ簡略化されてしまったのは残念だった。



ホールドミータッチミー役は、春風ひとみ。宝塚出身の春風が出ていても、老女たちのナンバーは、それほどすごいダンスナンバーにはなっていなかった。もしかしたら、来日版では、ホールドミータッチミー役は、激しいダンスナンバーのために、もっと若い女優に演じさせていたのかもしれない。あるいは、アンサンブルの役だった[exclamation&question]
もはや15年前なので、まったく覚えていないが…。


“I wanna be a Producer”に繋がる“Unhappy”というナンバーは、「借方・貸方」という会計用語が歌詞に織り込まれているのだが、完全にカットされてしまっていて、それがすごーく残念だったのは、私だけかもしれない。


もはや、私の中で、神扱いになっている来日公演の感想はこちらです。楽しいだけじゃなくて、深いところもある、素敵なミュージカルなんです、実は。

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