先日、テレビを見ていて、2020年の夏を舞台にしたドラマなのに、誰もマスクしていない状態に違和感を持った。
現在、放映されているドラマ、「現代劇」となっていても、それが、本当に放映と同じ年(2020年)を舞台としているかは限らない。たとえば、「半沢直樹」は、7年前に放映された前回番組の直後という時間軸でスタートするはずなので、「現代」と言いつつ、実際は、7年前が舞台になっている。(その辺は、いい感じにごまかしていくと思うが…)この場合、マスクはいらない。
私が気にしているのは、ごく普通に、「2020年〇月〇日」みたいに無邪気にテロップをつけて放映される刑事ドラマとか。マスクしろと思ってしまうのだ。
フィクションだからいいじゃないか、と言われるかもしれないが、フィクションの中に現実味が感じられないと、フィクションがただの絵空事になってしまう。
朝ドラなど、ある程度長尺の人生ドラマだったりすると、必ず「戦争」の歴史が挟み込まれる。
モデルとなる人物がいない100%フィクションのドラマであっても、昭和16年~20年を舞台にしたシーンがあれば、戦争中である、という前提でそのシーンを描く。それはもう、常識である。
それと同じことが、2020年の表現に求められている、のではないか
たとえば、今から10年後のテレビドラマで、10年前のシーンを描く時、登場人物がマスクをしていなかったら、あれと思われるはずだ。
だから、今、2020年を舞台にしたドラマであれば(←ここ重要)、マスクは不可欠。
もちろん、現代劇であっても、厳密に2020年が舞台のドラマである必要はない。だいたい2020年近いどこかの年…みたいな設定であればマスクは不要だし、そういうドラマは多いと思う。
刑事ドラマの一部が、年月日をテロップで出したりするから、気になっちゃうんだよね。
春クールのドラマは、そもそもそういう前提で制作されていなかったから理解できたのだが、夏クールは、既に一度ドラマの現場がストップし、あらゆる対策を講じて再開した春クールドラマの後に制作を開始している。その間に、コロナ時代のドラマってことについて、誰も考えなかったのかなここまで長引くということを想像したくなかったのかもしれない。
次のクールこそ、コロナ時代ならではのドラマを見たい。傑作が現れますように。
一方、より深刻な被害を受けた演劇の舞台は、テレビより対応が早かった。
既にマスクやフェイスシールドを使用した演劇が多く上演されている。変に出演者が距離を取った演劇も。もちろん新作の演劇だ。このコロナ禍が、やがて収まってくれれば、二度と再演されないだろう演劇だ。
もちろん、それが許される舞台である…ということが条件になる。フランスの宮廷にマスクマンが登場したら変なわけだし。
演劇としての対応方法は、3つ…かななにごともなかったように、これまでと同じ舞台を提供し、観客の安全を考えて、座席等施設面での対応を完璧に行ってクラスターを防止する。出演者側に何かがあったら公演を中止する
マウスガードやアクリル板、ソーシャルディスタンスを演出に組み込み、観客に一定の理解を求めつつ、あるいは配信を併用し、今、できる形で最善を尽くす
こうなったからは、コロナな時代の作品を上演する。マスクでソーシャルディスタンスになった時代の物語を作る。あるいは、少人数出演や朗読劇&無観客配信公演を実施する
そもそも演劇って、テレビと違って、イヤな舞台を見る必要はないので、観客は己のニーズに沿った作品をチョイスできる。配信も多いので、足を運ぶ舞台と、配信で楽しむ舞台を分けて楽しむこともできる。
現実を忘れるために舞台を観るから、思い出してしまうような公演は嫌いという人もいるだろう。
私は、客席ばかり安心安全前後左右いなくてストレスフリーで、舞台の上では汗水たらして大声で歌い踊って密みたいなのは、今は、ちょっとつらい。
なので、なんだかんだ、自分が楽しめる作品を、今はチョイスしている、って気がしています。
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