百名城を訪ねる旅に行ってきました。
が…行きの新幹線の中で、ツイッターのニュースに、言葉を失いました。
百名城のNo.100、首里城が…
本当に、いつまでも、あると思うな、百名城。ひとつひとつの出合いが、一期一会。大切に巡らなくては…と、あらためて感じる事件でした。
早々に必ず復元させると力強く宣言された玉城デニー知事、そして、次々と表明される寄附の声…私もおよばずながら、協力したいと、心に誓ったのでした。
今回は、名古屋まで新幹線で行き、そこから在来線に乗り換えて、松阪まで。途中、夜間工事の終了時間が遅れたことにより、到着時間が遅れたり…というアクシデントもあったけど、無事、松阪駅に到着。
駅から城までは、約15分とのことで、歩いて城まで。
駅からの道のりは、鳥取に近い感じでアーケード通りを延々と歩いていく。途中から民家の間を進む。ほんとにここで大丈夫かなと、不安になったあたりで、石垣が見えてきた
スタンプは、松坂城に隣接する「本居宣長記念館」の入口に設置されていた。入館しなくてもスタンプは押せるものの、本居宣長にも興味があるので、もちろん入館。
それほど期待していなかったのだが、めっちゃ嵌まりました。
本居宣長、ハンパない。
てか、オタクだ
「源氏物語」が好きすぎて、二次創作しちゃうとか、どうしてそういうこと、教科書で教えてくれなかったの
本業は医者。
記念館の隣に宣長が12歳から72歳まで住んでいた住居が保存されていて、こちらは、入口を入ってすぐのところ。
自宅で開業していて、西洋医学ではなく、薬箱ひとつでお仕事をしていたみたい。店の間は明るいが、奥の部屋は暗くて、でも、研究は暗い方の部屋で、夜やっていたようだ。
宣長に興味が膨らみすぎて、危うく城を忘れるところだった。
松坂城は、蒲生氏郷が天正16(1588)年に築城した平山城。三層の天守と多数の櫓がそびえていたらしいが、現在、建物は何もない。が、ものの、石垣は相当保存されている。
石垣があれば、ここが虎口なんだな…とわかるので、建物なくても大丈夫
しかも、ここ、ただの石垣ではない
見よ、この文字を
(字が小さいか…)
「刀剣乱舞FILMED HERE!!」ですよもう、私にはこれがただの石垣には見えない。
この前で、三日月宗近さまが微笑んでいるようにしか見えない
(本居宣長の妄想力が私にも宿ったらしい…)
主にアクションシーンで使用されていたそうなので、あのシーンかなこのシーンかな
と、想像を(妄想を)巡らしながら、石垣を熱く見つめてきました。
天守はないものの、天守台はありました。
天守台にも登ったけど、上は、けっこうな広さがあったので、さぞ立派な天守があったんじゃないか…と思います。
ほかにも多数の櫓があった…と、先ほど書いたが、そのひとつ、「月見櫓」は見晴らしのいい位置にあり、いざという時は物見櫓にもなるだろうな…という感じ。
そこに、作家・梶井基次郎の文学碑がある。
「城のある町にて」という小説に、この松坂城が出てくるのだそうだ。
松阪は、文学的な街でもある…ということね。
最初に立てたスケジュールでは、10時前に松阪に着き、12時半過ぎに松阪を出発する予定で、片道徒歩15分だから、城に2時間か…時間持つかな…などと考えていた。
足りなかった…
こちらは、御城番屋敷。どうやら米蔵だったようで、県指定の有形文化財。てか、松坂城関係の唯一現存する建物…
その他、武家屋敷を住民の方が公開されているところもあったのに…時間がなくてしっかり見られなかった
でも、急いでもゴハンだけは忘れないのだった…
やっぱり、松阪まで来たら、松阪牛よね。
奮発して、いただきました
松阪牛をいただくと、証明書も付けてもらえるのです。今回、テーブルに乗っているのは、生前「ままな号」と呼ばれていたそう。そんな風に証明書をいただいてしまうと、絶対に残せないですね…
美味しくいただきました。ありがとう、ままな号
駅に着くと、なにやら「鈴」のモニュメント。特に由来などは書かれていなくて唐突なのだが、本居宣長が鈴のコレクターだったことと関係あるのかな
なんて、思ってしまった私は、松阪市に来て、すっかり本居宣長に心を奪われてしまったようだ。城好きから、神話好きに転身するかもしれません
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