Bunkamura30周年記念
シアターコクーン・オンレパートリー2018 DISCOVER WORLD THEATRE vol.4
「民衆の敵」
作:ヘンリック・イプセン
翻訳:広田敦郎(シャーロット・バースランドの英語逐語訳による)
演出:ジョナサン・マンビィ
美術・衣裳:ポール・ウィルス
照明:勝柴次朗
音楽:かみむら周平
音響:長野朋美
振付:黒田育世
ヘアメイク:佐藤裕子
衣裳スーパーバイザー:中野かおる
美術助手:原田愛
演出助手:陶山浩乃
通訳:時田曜子
舞台監督:南部丈
今年は、イプセン作品を2作も観てしまった。
たぶん、舞台でイプセン作品を観たことは、これまでなかったと思うので、2018年は、私にとって、イプセン遭遇イヤーだったようだ。
そして、その130年以上昔の作品が、現代の日本人の胸に鋭く突き刺さる…というところに、イプセンの先進性、と我が国の後進っぷりが如実に表れている。
「人形の家」では、DVという、日本ではようやくここ20年くらいで認識されてきた問題が描かれた。それも、肉体的な暴力ではなく、家庭内モラハラがテーマという…この先進性そして、本作品は、個人が個人である時の誠実さと、個を失くした民衆の愚を対比、さらに隠蔽が生まれる構図まで描き出して、2018年の日本に生きる私たちの心を揺さぶる。…これ、本当に、130年前の戯曲なのでしょうか…
舞台は、2時間15分ノンストップ。
それでも、ある種の結論に到達して幕が下りるのではなく、これから戦いの始まりだ…というところで終了する。
そのせいもあり、幕が下りた時、これから休憩か、と、心底思った。
2時間15分が経過したことに、私自身、まったく気づいていなかったし、集中し過ぎて疲れも空腹も感じていなかった。これは、すごいことだ。(そういえば、「人形の家」も、何回観ても、退屈になったり眠くなったりしなかったな…贔屓が出ていない場面でも。)
物語は、ノルウェーの小さな町を舞台にしている。
この町では、最近、温泉が見つかり、温泉を中心とした観光による町興しを、市長(段田安則)以下一丸となって進めている。
ところが、温泉の発見に一役買った市長の弟である、医師のトマス(堤真一)は、温泉の水質に問題があると指摘する。近くの厚情の廃液が温泉の中に入り込み、有害物質を含んでいると。
トマスは、温泉施設を改装し、新たな水道管を引き直すことを提案する。
しかし、市長は、これにかかる莫大な費用と、時間(数年かかる。この施設はすでに成功しているので、もしクローズして改修すると、周辺で同様の施設を計画している町があるので、そこに客を取られてしまう)を考え、すべてを隠蔽し、このまま温泉施設を営業し続ける道を選ぼうとする。
トマスは、市長の暴挙を告発することにし、それには、新聞社も賛成していたのだが、もし改修するとして、施設改修にかかる費用は、「税金」である、と市長が言った瞬間、すべての町民が、トマスを糾弾し、市長を支持した。隠蔽が町ぐるみとなったのだ。
トマスの味方は、彼の家族と、世界を股に掛ける船長(木場勝己)だけ…
市長とトマスの演説会にだけ登場する町民の人達。
この舞台では、その人々を場面の切り替わり時などに、ダンサーとして使い、重苦しい雰囲気を盛り上げている。(俳優なのか、ダンサーなのか、出自を問わないオーディション合格者なのか、すごーく気になる面々だった。)
演劇を観るということは、俳優を観ることだ…と、私は思っている。
でも、この作品に対しては、俳優の演技を観ていながら、頭の中では、この人たちは、どうするのが正解なんだろう、とか、この物語は、この先(芝居が終わった後も含めて)どうなっていくのだろう、と、すっかり世界観に囚われていた。
それだけ、的確かつ押しつけがましくない芝居をしてくれた出演者には、あらためて、ブラボーという思いでいっぱい。
2018年の演劇、ベスト1かも。
上記に記載したキャストだけでなく、トマスの妻を演じた安蘭けい、新聞記者のホヴスタを演じた谷原章介の熱演も忘れ難い。
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