「右まわりのおとこ」

「右まわりのおとこ」


構成・上演台本・演出:芳賀薫
振付・演出:近藤良平


出演:千葉雅子、矢崎広、近藤良平


美術:u-rec-a
照明:杉本公亮
音響:遠藤宏志
衣裳:中西瑞美
舞台監督:筒井昭善


稽古アシスタント:大西彩瑛
舞台監督助手:竹内万奈、シロサキユウジ


照明操作:長安理恵
音響操作:塚原康裕、大川廉造
ワードローブ:柿野あや


協力:ザズウ、トライストーンエンタテイメント


広報:室谷真紀
票券:小林良子
制作進行:太田郁子
プロデューサー:根本晴美、西原栄


宣伝美術/パンフレットデザイン:小見大輔
イラストレーション:いぬんこ
稽古場写真:二石友希


主催:あうるすぽっと(公益財団法人としま未来文化財団)/豊島区
企画制作:あうるすぽっと ロックスター有限会社
助成:平成30年度文化庁文化芸術発進拠点形成事業(豊島区国際アート・カルチャーとし推進事業)


ようやく千秋楽に行くことができまして…行けて本当によかったです。


あうるすぽっとの客席に入ると、そこには誰もいなくて、いつもは舞台になっている場所が、囲われている。そこまで上がって、舞台上にぐるりとパイプ椅子の客席があるので、自分の席に着く。既にめちゃくちゃ面白い。これ、あうるすぽっとでやる必要あった[exclamation&question]単にもっと狭いスタジオ的なところでやればいいんじゃ[exclamation&question]
(たぶん、助成金ありきだな…[爆弾]


開演アナウンスは、近藤さんの軽快・リズミカルな調子で。バックにピアノ演奏が入っていて、「サラリーマンNEO」をご存じの方なのか、くすくす笑っていた方も[わーい(嬉しい顔)]


「右まわりのおとこ」は、近藤良平演じる、なぜか、右まわりしかしない男のことだが、そんなふうに、クセというか、変なこだわりとか、ついやってしまうことが、誰しもあると思う。特に、周囲に誰もいない自分の部屋とかだと、そのクセが誰はばかることなく発揮されることになる。
最初に登場する男(矢崎広)は、何かやっている途中で、別のことが気になると、そっちを優先してしまう。ズボンを穿いている間に(片方だけ穿いたところで)お風呂のお湯を張りに行ったり…とか、多少誇張されているが、これ、自分もあるある[exclamation]だと思った。
次に登場した女(千葉雅子)は、メトロノームを鳴らして、リズミカルに動きたいし、水音さえ、リズミカルにしてほしいタイプ。
そして、どこに行くにも右まわりしかしない男(近藤良平)が登場し、最後に、目測を誤ってばかりの女(千葉雅子)が登場する。
彼らは、同じ部屋を使って、同じような朝を過ごし、その生活は交わらない。
そして、目覚ましや電話が鳴ったりするのだが、その音(だけでなく登場するあらゆる効果音)が、“人間の声”というのが面白い。客席でスマホが鳴る、というくすぐりがあって、その音楽も“人間の声”だった。あと、細かいことだが、そういう音が、人間の声ということは、決して生音ではないはずなのに、その場所から聞こえてくる、というのも、すごいな~と思った。


人間の声がする電話は何度か鳴ったのだが、最初の矢崎ターンでは、最後まで鳴り続けていた。近藤ターンで、電話に出ると、ヒダリマワリ氏からの注文で、シナモンロールを届けることになったのだが、右にしか回れないため、どうしてもたどり着けない。そしてほとほと疲弊してしまい、あの時、電話にさえ出なければ…と深く後悔する。
(別の人のターンのところで、ヒダリマワリ氏からのシナモンロールが届かないという抗議の電話が何度もかかるのだが、その辺のやり取りも笑える。)
すると、再び、朝に戻り、矢崎の朝が、始まる。そこに、千葉の(目測を誤っている方の)朝が重なり、最後に近藤の朝が重なる。三人の朝が見事に重なって、三人の(てか、出演者は三人だけど、登場人物四人の…ということだと思う)世界が繋がっていることが伝わってくる。そして、三人の朝が重なったことで、電話に出る場面が三人の戦いとなり、結局、近藤は電話に出られない=歴史が変わった[exclamation]みたいなエンディングとなる。


矢崎の朝は、「なんで〇〇がここにあるんだろう[exclamation&question]」というセリフが何度も出てくる。僕しかいないんだから、僕が置いたんだよな…と自分を納得させようとするのだが、最後の方になって、わかってくる。同じ部屋を異次元の4人が共有していて、だから、物が勝手に動くようなことが起きたりするのだ…と。異次元だから、互いに影響を与え合わないはずなのに、何か不思議な力によって、どんどん影響を与え合い、最後には、電話に出ようとするお互いを阻止し合おうとする、不思議な戦いの場面になる。それはスローモーションで、だから、ダンスのような場面なのだが、ダンスで演劇とは、こういうことか[exclamation×2]と納得した。
たしかに、ダンスで演劇だった、これは。


実に面白い公演だった…と、得心して帰った翌日、自分が、全面的に、何かをしようとしている最中に、別のことを思い出して、そっちをし始めてしまう人だというだけでなく、なんか、勝手にリズム取ってるし、歩く時に何か自分の中での決め事があったり、そして、目測を誤ること甚だしい…と気づき、なんだよ、これは、私の話だったのか…と、さらに得心してしまったのでした。


短い公演だったけど、これは、2018年観た公演の中でも、特筆すべき1本だったと思う。

この記事へのコメント