「グッド・バイ」の世界

「グッド・バイ」は、作家・太宰治の未完の遺作。
文庫本にして30ページほどしか、書かれていない。ほんの序盤で途絶してしまっている。主人公の田島周二が10人の愛人と“グッド・バイ”するはずの物語が、たった一人とグッド・バイしたところで、作家自身がこの世にグッド・バイしてしまった。
この作品を舞台化するなら、「グッド・バイ」の続きを創作するか、それ以外の物語と繋げるかして、水増しするしかないだろう。
本作は、「グッド・バイ」のストーリーを作中に織り込みながら、太宰治こと津島修治(本名)が38年の生涯に経験した、様々なグッド・バイの物語を絡めて2時間の舞台にしている。今回の上演は再演で、初演は3時間もあった、と聞くと、どの部分をカットしたのか、なんてことにも興味がわく。


出演者は、プログラムによると、太宰治と田島周二を演じるのが池下重大、そして津島修治と永井キヌ子(ヒロイン)を演じるのが大空ゆうひ。それ以外に、産みの母・夕子(異儀田夏葉)、育ての母・たね(荻窪えき)、初恋の女中・トキ(春山椋)、最初の妻・小山初代(中西柚貴)、最初の心中事件の相手・田部あつみ(飛鳥凛)、一緒に死ぬ山崎富栄(野本ほたる)、愛人として太宰の子を産む太田静子(永楠あゆ美)、そして二番目の妻・美知子(原田樹里)が登場する。
飛鳥は、劇中劇的に挿入される「グッド・バイ」の中で、唯一グッド・バイされる“青木さん”も演じる。その“青木さん”が現実世界では、山崎富栄の先輩美容師で、太宰に彼女を死なさないでほしいと説得に来る場面があったりして、作中、太宰が語る「現実と想像が織り混ざった世界」(太宰の小説の世界観)がしっかり展開されているのも面白い。


作家・太宰治と本名・津島修治を二人一役で演じる…というのは、プログラムで脚本・演出の山崎彬氏が語っている通り、田島がパブリックイメージの太宰で、それに対してキヌ子は、太宰の本心(津島)なのではないか、という推理から始まっているようだ。
「グッド・バイ」の軽妙な物語には、たしかに、作者自身によるノリツッコミ的要素もあるようだ。
と言いながら、これは演劇なので、永井キヌ子と津島修治の性別が違う…ということが、どうしても気になってくる。違和感なく男性を演じることができる大空ゆうひを擁しているからこそ、時々姿を現す修治のなかの「女言葉」の正体が気になって仕方がない。
そもそも、永井キヌ子は、表面上しか書かれていないが、ウェットな部分の全くない、豪快なヒロインである。一方、修治の中から顔を出す女性性は、とてもピュアで子供で傷つきやすい魂を感じる。それが劇中劇の「永井キヌ子」と繋がらなくて、悩むところでもある。


「グッド・バイ」は、第三章半ばで途絶しているので、本作では、第一章、第二章を舞台化し、第三章は、太宰が秘書の太田静子にあらすじを説明するという形で表現されている。
第一章(行進)では、美貌で着飾った永井キヌ子を連れて、青木さんにグッド・バイし、第二章(怪力)では、キヌ子のアパートを訪ねて、そこで汚い部屋着のキヌ子の怪力で退治される顛末が描かれている。
この「汚い部屋着のキヌ子」が、本作では、パッチワークのように様々な色の布を張り合わせて、しかもボロボロにしたような上着に、茶色のボーダーパンツを合わせたものになっていて、それは、物語の後半に太宰(池下)が着ているのと同じ衣装になっている。その上、グリーンのアイシャドウを塗った滑稽なメイクもそっくり。
つまり、これは、道化か[exclamation]と、納得。
ということは、太宰と津島の二人一役ではなく、池下重大=太宰治=道化=津島修治=大空ゆうひという構図なんだな、と理解した。


そして、この芝居を観て、再び太宰に嵌まり「女生徒」(角川文庫)を購入し、その解説を読んで腑に落ちたことがある。
太宰の小説は、女性の一人称で書かれたものが、かなりある。それを解説の市川拓司氏は、そういう作家は「中身はかなりの部分が女性」ではないかと推察している。


なるほど…[exclamation×2]


だから、津島修治は、「僕」と「アタシ」の中で揺れているのだろう。
そして、その女性性というのは、大人の女ではなくて、「乙女的潔癖」を持った、中学生女子みたいなものらしく、「倫理はとっくに許してる。感覚が許さない」なんて言っちゃう。
そこまで傾いた存在だから、時にマッチョ的な「走れメロス」なんかを書いてしまう揺り戻しがあるのだとか。なるほど、深い。


だから、永井キヌ子は、歯に衣着せぬ本音で田島を圧倒する。乙女的潔癖が攻撃性を帯びたタイプだ。一方で、寄る辺ない乙女のような面を見せるのが、化粧を落とした修治。そして、最後にたくさんの女を愛し、一緒に死のうとした「太宰」というキャラクターを脱ぎ捨てた修治は、愛する妻をそれゆえに現世に残して死ぬ「男を捨てた」人間・修治
男を捨てた修治は、男役を捨てた大空ゆうひに、新たな光を当て、なんとも魅力的なものに仕立て上げていた。


ま、ぶっちゃけ、百合…[キスマーク](こら)


あそこでキスしても全然驚かなかったけど、修治は、もはや直截的な行動には出ないので、美知子と修治は互いにバイバイ…と手を振る。その後ろを太宰が「ちょっと出かける」と言って振り向かずに去る。美知子は「いってらっしゃいませ」と最敬礼。
でも、本当は、修治の中の女性は、美知子と、バイバイと手を振り合いたかったのね…と思った。


その、プラトニックな百合(やめなさい)が、たまらなく、愛しくて。
富士山には月見草が似合うと太宰は言っているが、大空ゆうひには百合が似合うと、誰か言ってほしい。(言いません)

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