「アンナ・カレーニナ」
原作:レフ・トルストイ
脚本:ジョー・クリフォード
翻訳:阿部のぞみ
演出:倉田淳
美術:乘峯雅寛
照明:日下靖順(ASG)
照明OP:和田恵
音響:竹下亮(OFFICE my on)
衣裳:竹原典子
ヘアメイク:川村和枝(p.bird)
演出助手:宮本紗也加
舞台監督:倉本徹
小道具:高津装飾美術
宣伝美術:鈴木勝(FORM)
制作:Studio Life
いい舞台だった。
宣伝コピーは、下記の通り。
「十人十色というからには、心の数だけ恋の種類が、あってよいのではないかしら」
これは、ポスターだけでなく、観客に配られる無料のチラシの表にも書かれている。(配役とスタッフと公演スケジュールが書かれている優れもので、これを持ってさえいれば、公演感想が書けてしまうのだ)
つまり、この芝居のテーマなんだろうな、と思う。
その言葉通り、冒頭に離婚の危機を迎えるスティーヴァとドリーの夫婦、素朴なコースチャとキティの若いカップル、そしてアンナとヴロンスキーの刹那的な激しい恋が対比されているような舞台だった。
そんな今回の公演、それほど全役Wキャストという感じではなく、やはり、ヴロンスキーは、劇団の誇る永遠の二枚目、笠原浩夫一択なのでしたヒロインのアンナ・カレーニナは、「И」チームが岩崎大、「C」チームが曽世海司。大型のカップル姿は、どちらのチームも美しかった。
ジョー・クリフォードによる作劇は、非常にわかりやすく、一人の女性の、女性ゆえの悲劇になっていて、今の時代に伝わりやすいものだと思った。
アンナ・カレーニナは、ロシアの政府高官、アレクセイ・カレーニン(船戸慎士)の妻。二人の間には、男の子が一人いる。このカレーニン氏、ものすごく論理的な思考回路の持ち主で、女心とかには、まったく関心がない。妻は、自分のために尽くすものであり、その働きによって自分は仕事に注力でき、その結果得られる財産によって妻を幸せにした…ゆえに、自分は正しい、と信じている。
二人はペテルブルクに住んでいたが、アンナは、兄のいるモスクワを訪れることになる。
アンナの兄、ステパン・オヴロンスキー(楢原秀佳)は、妻ダリヤ(石飛幸治)との間に幸せな家庭を築いているが、子供の家庭教師とのアバンチュールが妻にバレ、深刻な事態に陥っていた。スティーヴァ(ステパンの愛称)には罪悪感はなく、妻への愛情は変わらないが、男は、若くてピチピチした女性に心奪われるものだ、と、妹を迎えに来た駅で、たまたま出会ったアレクセイ・ヴロンスキーに力説する。
ヴロンスキーは、彼のもとを訪れる予定の母(宇佐見輝)を待っていたのだ。
アンナとヴロンスキーの母は、たまたま隣同士でモスクワまでの旅を色々と話しながらやって来たようで、すっかり意気投合していた。
こうして、偶然出会うアンナとヴロンスキー。
その列車が到着した時、ちょっとした事件が起きる。鉄道員が列車に轢かれてしまったのだ。
ヴロンスキーは、その鉄道員の遺族に…と、少しお金を渡してやる。アンナは、見返りを求めないさり気ない優しさに、ひどく心を打たれるのだった。
オヴロンスキー家では、ドリー(ダリヤの愛称)が、大騒ぎしていた。
アンナは、ドリーの話を一生懸命に聴き、兄の不実を詫び、その上で、許せないかもしれないけれど、やはりここは、子供たちのためにも離婚は避けるべきだ、と冷静に兄嫁を説得する。優しいアンナの心からの説得に、ドリーも平静を取り戻す。
オヴロンスキー家には、ドリーの妹、カテリーナ・シチェルバツカヤ(関戸博一/久保優二)も来ていた。そして彼女に恋しているコンスタンチン・リョ―ヴィン(仲原裕之/山本芳樹)は、彼女にプロポーズするために、わざわざモスクワに来ている。
多くの貴族が田舎の領地を人に任せきっているのに対し、リョ―ヴィンは、自分の領地を自分で経営することに喜びを見出していた。着飾ることもせず、とても素朴な青年で、キティ(カテリーナの愛称)は、彼を友人としてとても大切に考えていたが、恋の相手と考えたことはなかった。
せっかくモスクワの舞踏会にまで現れたのに、コースチャ(コンスタンチンの愛称)の思いは、キティに届かなかった。キティは、あっさりとコースチャのプロポーズを断ってしまう。
というのも、彼女は、ヴロンスキーからの求婚を待っていたからだった。
しかし、その舞踏会で、ヴロンスキーは、アンナの美しさに血迷い、キティを振り返ることはなかった。
ペテルブルクに帰ろうとするアンナと、彼女を追うヴロンスキーは、列車が停車した冬の駅で再会し、互いの気持ちを確かめ合う。こうして、二人の許されざる愛が始まる―
兄夫婦の離婚騒ぎの仲裁をするためにモスクワにやって来ただけの、平穏な夫婦生活を送っていたアンナが、そこで波瀾万丈の恋愛劇をスタートさせてしまう…という皮肉。
アンナさえ現れなかったら、ヴロンスキーにプロポーズされていたかもしれないキティと、彼女に振られたままだったかもしれないコースチャが、どっしりとした夫婦愛をゆっくりと築いていく間に、アンナとヴロンスキーは、憔悴し、最悪の結末を迎える…という皮肉。
そして、クリフォード版のオリジナル設定は、アンナとヴロンスキーの間に子供はできず、したがって、カレーニンがアンナを許す場面がない。離婚に応じないのは自分に否がないからだ、と取り付く島もない状態。カレーニンのキャラクターは、ベズボワ伯爵夫人(宇佐見)という強烈キャラクターの後押しもあって、必見のものになっている。
(なにか間違っているハズなのに、説得力があり過ぎる…)
精神的にまいってしまったアンナを見舞うために、ドリーが訪れる場面も、冒頭のシーンを思うと、皮肉だなーと思う。
そんな皮肉をうまくまとめあげた、ジョー・クリフォードの脚本にまず脱帽。そして、この脚本に、スタジオライフの劇団員をピッタリと当て込んだ倉田淳のキャスティングにも、今回は完敗した。
では、出演者感想。役ごとに書いていきます。
アンナ・カレーニナ(岩崎大/曽世海司)…もともとあやうい資質を持ちながら、それを発揮しないままに良妻賢母を続けて来たアンナが本領発揮していく的キャラの岩崎VS生真面目な貴婦人アンナが、生真面目な性格のままに、生真面目に恋愛をしたら、こんな悲劇になってしまいました的曽世。どちらもありだと思うし、どちらも悲しい。
原作のアンナは、ヴロンスキーの子を産むのだが、この芝居のアンナは、妊娠しないように気を配り、万一妊娠したらヴロンスキーに知られないように始末しようとしている。そのくせ、養女(伊藤清之)を引き取って可愛がったりしている。つまり、生物学的に両親になることで、ただの男と女としてヴロンスキーと向き合うことができなくなるのを怖れている。それは、兄夫婦の仲裁をして気づいたことなのかな…と。
アンナは、夫の愛をなくしても子供の親であるということで繋がっていられる関係(カレーニンとはそういう夫婦であったことに疑問を抱いていない)をヴロンスキーには求めていない。ただひたすら愛されること、自分だけを見つめることを願う。
その先には、破滅しかない。まるで破滅を願っているようなアンナの姿に、男優ならではの迫力があって、ライフに相応しい芝居だな~と思った。
アレクセイ・カレーニン(船戸慎士)…怪演でした、今回も。
すごく揺れて、ブレていく登場人物の中で、彼はブレない。ブレないけど、めっちゃ間違っている。その間違いのせいでアンナはがんじがらめになっていくのだが、彼は同情すらしない。そこまで、妻だった女性を切り捨てられるのか…と思うのだが、カレーニンにとっては、「感情」ではなく「事実」だけが論ずべきものなので、全然平気なのだ。
ここまでくると、もはや人間かどうかさえあやしいカレーニンだが、船戸の怪演により、ちゃんと成立している。
一番、印象に残る人物でした
アレクセイ・ヴロンスキー(笠原浩夫)…「イケメンなたらし」として、貴族社会を渡り歩いてきたヴロンスキーを、スタジオライフきっての二枚目俳優だった笠原が、年齢をかえりみずに演じている。いいんです、舞台俳優は。
彼は、アンナと運命的な恋をして、これまでの人生のすべてを捨てる決意をする。
とはいえ、軍隊をやめても、領主として田舎の土地を持っているので、当面の生活には困らない。それでもアンナが苦しむために、生活の場や仕事を変えようと努力している。愛するアンナのために、彼は、できるだけのことをする。けれど、それはアンナを苦しめるだけだ。ヴロンスキーは、軍人としても、領主としても、商売人としても生きることができる。でもそのためには、仕事に集中する時間も必要だ。なぜなら、普通の貴族のように生きる道(社交界で生きる)を、彼らは失ってしまったから。
それなのに、アンナは、自分のそばに居てくれないヴロンスキーを責め、泣き、最後には列車に飛び込んでしまう。
それでも、アンナへの思いに生き、戦場に旅立つヴロンスキーって、本当は「イケメンなたらし」じゃなくて、アンナへの殉教者なのかもしれない…すごく伝わる、どちらのアンナにも、彼以外ない、ヴロンスキーでした
ステパン・オヴロンスキー(楢原秀佳)…これがまた、楢原以外の誰にもできないような、ステキなスティーヴァ役。
適当に生きていて、でも、優しくて、小心で、でも大胆で…めっちゃ、好き
Wキャストなんだけど、あんまりWな感じがしないのは、中心となる三様の男達が、シングルキャストなせいじゃないかな…と思った。
コンスタンチン・リョーヴィン(仲原裕之/山本芳樹)…すごい味わいの違うコースチャ二人。実に生真面目で地味でまっすぐな仲原コースチャ。自己評価が低くて、一生懸命なのに報われない自分をダメだと思い込んでいるが実はすごいヤツ感のある山本コースチャ。
コースチャは、かっこいい役ではないが、コメディリリーフとしての味もあるし、最後、幸せになる姿にちょっとホッとできる存在でもあるし、この二人のコースチャで良かったな…と思う。
カテリーナ・シチェルバツカヤ(関戸博一/久保優二)…公爵家の令嬢なのだが、妙に庶民的な関戸キティ。コースチャに謝り、愛を打ち明ける場面の文字ブロックを使った芝居が、もう、柔らかくて愛らしくて見事だった。最初にプロポーズを断るところも、本当につらそうで、友人としてのコースチャをどれほど大事に思っていたのかが、セリフの行間から伝わり、二人が少しずつ愛を育んでいく過程が、ゆっくりと微笑ましく描かれていたのがすごくよかった。生真面目な仲原コースチャと慈愛に満ちた関戸キティ、ベストカップル(ちょっと尻に敷かれているかも)でした。
一方、久保キティ。美しさはダントツ。まだ世間をよく知らないゆえの傲慢さや、人の気持ちを慮ることのできない若さが魅力的で。まったく別の魅力を持った二人の女性を翻弄するなんて…ヴロンスキー、ほんと、やばい男だわ。山本コースチャは、身長的に久保と合わない部分はあるものの、美男美女で、でもどこか夢見がちで、似た者同士な感じ。アンナとヴロンスキーが現実に敗れていく姿を過酷に描く裏側で、この二人の物語がハッピーエンドに描かれているのが、慰めになった。
ダリヤ・オヴロンスカヤ(石飛幸治)…衰える容色、三人の子供たちの世話でどんどん現実的になっていく中、夫はいつまでも恋のハンターで、ドリーは、そんな生活に疲れ切っている。でも、本当はとてもやさしくて、夫を愛していて、だから、スティーヴァも、彼女を一番大事にしているし、彼女に依存している…そんな関係性が見事に伝わってきた。この役に石飛をもって来たことが成功の一因のように思った。
その他のメンバーもみんな大活躍で、文芸作品もいけることを証明してくれた。中でも、ヴロンスキーの母とベズボワ伯爵夫人を演じた宇佐見輝の老け役への意欲、コースチャのばあや・アガーフィヤを演じた千葉健玖のクセのある老人っぷりに魅力を感じた。
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