「ハングマン」
作:マーティン・マクドナー
翻訳:小川絵梨子
演出:長塚圭史
美術:二村周作
照明:笠原俊幸
音響:加藤温
衣裳:安野ともこ
ヘアメイク:勇見勝彦
演出助手:坂本聖子
舞台監督:福澤諭志
企画:佐藤玄、伊藤達哉
プロデューサー:藤井綾子
製作:井上肇
企画協力:ゴーチ・ブラザーズ
企画製作:株式会社パルコ
マーティン・マクドナーのシュールな舞台、「ハングマン」を観劇した。
時は今から50年ほど前のイングランド。
1963年、主人公のハリー(田中哲司)は、一人の死刑囚(村上航)の死刑を執行しようとしていた。男は、最後の最後まで無実を主張し、いよいよ絞首台に連れていかれると、「せめてピアポイントを呼べ!」と言い出す。イングランドで一番有名な執行人の名を出され、「二番目に有名」らしいハリーは、ブチ切れ、乱暴に床板のレバーを操作するのだった。
その2年後、1965年にイングランドでは、死刑が廃止され、ハリーは執行人の仕事を失った。
今は、妻と二人、北西部の町でパブの主人として働く日々だ。
新聞記者のクレッグ(長塚圭史)が死刑廃止に対するハリーのコメントを取ろうと躍起になっている。最初は、発言を渋るものの、だんだんとおだてられて、別室にクレッグを連れて行き、ハリーは持論を展開する。
政治的な信条はなく、与えられた仕事として、執行人であったことを誇りに思っている、とハリーは語る。が、ナンバーワン執行人のピアポイントについては、少なからず思うところがあるのだった。また、2年前に執行した冒頭のヘネシーの話になると、ちょっとムキになってしまう。
ハリーの記事は、翌日の新聞にでかでかと載る。
パブの常連たちは、ハリーを褒めたたえる。そこへ、ロンドン訛りの男・ムーニー(大東駿介)がやってくる。
ムーニーは、どこか、得体の知れない雰囲気。そして、ハリーたちが居ない間に、娘のシャーリー(富田望生)を口説き始める。そして、その夜、シャーリーは帰って来なかった―
ハリーと、かつての助手シド(宮崎吐夢)は、ヘネシー事件の真犯人かもしれない、婦女暴行殺人の常習犯としてムーニーを捕まえ、シャーリーの居所を吐かせようと、彼の首に縄をかけ、徐々に吊り上げていくことで、ムーニーを脅していく。が、そこへ、ピアポイントが現れる。新聞記事に怒って現れたのだ。ムーニーの足元にテーブルを置き、その周辺にカーテンを廻らし、気づかれずにピアポイントが帰ってくれるよう、祈りながら平然を装うハリーだったが、その時、大きな物音がして、ムーニーの足元を支えていたはずのテーブルが倒れる…
しかし…
一瞬を争うはずの時に、誰も動かない
(よそ者の犯罪者(と決めつけている)の命は、ピアポイントの前で真実が露呈する屈辱より価値がなかったのだろう。)
ピアポイントが帰ったのはだいぶ後。当然、ムーニーは、完全に絶命している。
なのに、常連客の一人、フライ警部(羽場裕一)でさえ、何もしない
さらに、シャーリーは、そこに無事に帰って来て(雨の中、ムーニーに放り出されたらしい)、ムーニーは露悪家の色事師だったことが判明する。ちょっと、後味の悪い時間がハリーを支配するが、妻(秋山奈津子)とシャーリーの会話から、娘とムーニーが肉体関係を持ったという事実を知ると、あんなやつ死んで当然だ的に、すっかり罪悪感が消えているハリー、無双かも…
主演は、田中哲司。
イングランド北部という舞台が考慮されたのか、登場人物は、かなり訛っている。
で、訛っている田中が、実にユーモラスで、物語は「ひっでぇ~」と思うような内容なのに、田中のなぜかふてぶてしいほどに自信に満ち溢れた態度と、内心の動揺、そしてシュールな展開に、にやにやが止まらなかった。面白い
マーティン・マクドナーの戯曲、小川恵梨子の翻訳、そして、長塚圭史の演出、田中哲司の演技…どれが欠けても、このにやにやに達しなかっただろうな…と思う、素晴らしいコンボだった。また、不気味な悪党の風味を湛え続けた、ただの露悪家ムーニーを演じた大東駿介の的確な演技もまた、この舞台の成功に寄与していたと思う。
そして、普通に可愛くないところが、可愛くてたまらない富田望生のシャーリーも、作品の大きなアクセントとなっていた。
あと、ほとんどの場面で使われているパブのセットが、めっちゃイングランドという感じで、それだけで、かなり気分がアガッた。
帰り…ついつい、一人ビールしてしまった…
すごく好きな芝居だったので、再演されたら、また観たいな~と思っている。
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