日本海海戦の日

今年は、明治150年という記念の年。その明治時代、日本は2つの大きな対外戦争を経験している。明治27(1894)年の日清戦争と、明治37(1904)年の日露戦争。5月27日は、日露戦争の勝敗を決した「日本海戦」の行われた日(1905)だそうです。


連合艦隊の司令長官は、ご存じ東郷平八郎。そして参謀を務めていたのが、秋山真之。秋山は、松山出身で秀才の誉れ高く、文才もあった。そのため、この海戦においても「天気晴朗なれども浪高し」とか「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」の美文を繰り出している。


松山に行った時、松山城の帰り道に、秋山兄弟(真之の兄の好古は、陸軍大将)の生誕地を訪問した。せっかくの記念日なので、その時の写真などをご紹介したい。


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民家の中に、ありました[exclamation]
この秋山兄弟と、幼馴染の俳人、正岡子規を主人公とした司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」と、これをもとにしたテレビドラマがきっかけで、秋山兄弟を知ったという人も多いと思うが、私もその一人。しかも、そんなに真剣に見ていない。たしか、主題歌の「Stand Alone」をゆうひさん時代の宙組ショー「NICE GUY!!」で使用したことで、急に見たんじゃなかったかな…[あせあせ(飛び散る汗)](それ、第三部だから…)
こんな動機で行ってしまってよかったのだろうか…[爆弾][爆弾][爆弾]


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こちら、秋山真之の像。その奥にあるのが、武道場。柔道や合気道を行っているとか。


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こちらは、愛媛県立新居浜工業高等学校生徒の作った、戦艦「三笠」(日本海海戦の連合艦隊旗艦)船体と蒸気機関のミニチュア。
ちなみに、真之は、海軍大学校で戦術教官となっているが、その教えが、今も海上自衛隊等で使われていると、案内の方がおっしゃっていた。すごいことだが、あれから100年以上経っているのに、逆にそれで大丈夫なのだろうか。
(日本海海戦の作戦には、トラファルガー海戦(1805)の作戦も使われていたとか聞いたことがあるので、定石というものは、そう簡単に変わるものではないのかもしれない。)


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こちらの家は、晩年、秋山好古が、故郷・松山に戻り、生家に再び住んだ時のレイアウトとのこと。(兄の好古は70代まで生き、晩年は教育者=中学校の校長=として過ごしたとのこと。真之は、49歳の若さで病死している。)
史料は、写真や、真之が海外から出した葉書、海軍兵学校時代の成績一覧など。(ダントツの首席でした[ひらめき]


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秋山兄弟産湯の井戸。井戸の位置が江戸時代から変わっていないので、おそらく産湯に使われたであろう…という意味だそうです。


好古の史料などは、後日、写真帳の方にアップする予定です。

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