宝塚のついでに…というにはちと遠かったですが、赤穂城に行ってきました。
こちら、大手門前。
赤穂城の主な構築物は、昭和30年に再建されたものとのこと。それ以前は、大石神社の境内になっていたのだとか。
元禄赤穂事件の後も改易で違う殿様が治めていたのに、大石内蔵助の屋敷跡と、大石神社だけは残っていたのね…さすが忠臣の鏡
そんな赤穂城には、満開の桜が
城と桜と青空…これほど似合う景色があるだろうか
(満開の桜を見て、桜咲き誇る姫路城に行くというのもありだったかも…と一瞬思ってしまったことは、ナイショです。ま、たぶん、あっちはめちゃくちゃ混んでいたと思うし、なにより、スタンプはもらっちゃったので、赤穂城でよかったんですけど。)
赤穂城は、山鹿素行の助言により、本格的な築城をされているのだが、1648年という、江戸幕府が開闢して50年近く経った時代に築城許可が下りた、とても珍しいお城。藩祖の浅野長直が築城マニアだったという説もあるらしい。
こちらは、大石内蔵助邸長屋門の先にある公園
桜がこれでもかというくらい植わっている。
桜=潔く散る=赤穂義士みたいなイメージがあるから、ここに桜が咲いているのが、すごくしっくりくる。
その向かい側にあるのが、こちらの大石神社。
超立派な鳥居。その向こうにある「義」とか書いてあるあの文字は、東郷平八郎の書だとか。立派過ぎて読めなかった…鳥居の影にある、反対側の文字は「忠魂」だった。
最も似合うだろう絵柄を作ってみた
桜と大石神社の鳥居のコラボ。まさに忠義に散った大石…みたいなベタなイメージが表現できているのでは…
さらにベタなイメージの写真を掲載したい。
ここ、大石神社の御利益は、「大願成就」である。
こりゃ、誰もが納得するわ
私もしっかり、ゆうひさんの大願成就をお祈りしてきた。
ゆうひさんの大願は知らないが、私の大願として、こんな役をやってほしい…みたいな妄想を祈ってみたり…。
こちらが、お堂。創建は明治天皇の宣旨がきっかけだったそうで、実際には大正元年に鎮座なったということは、まだ100年程度の歴史。神社としてはかなり新しい。
明治天皇が評価したことで、赤穂義士の評価が定まったというのはあるらしい。庶民的には、忠臣蔵は江戸時代から人気の演目だったのは間違いのないところだと思うが。
こちらは、石垣と隅櫓。櫓が石垣から外に飛び出している珍しい形。
こうすることで、さらに横矢がけポイントが増えるんだとか。
(江戸時代の半ばに、何が横矢がけなのか、と言われると言葉もないが、山鹿素行さんって、平和な時代の軍事オタク的な存在だったのではないか…と想像している。)
ちなみに私も、この石垣から隅櫓のラインは、かなりお気に入り。
江戸城の辰巳櫓レベルの美しさ
しかも、桜も見えるし
ちなみに周辺のマンホールは、このように桜だった。やはり、忠臣蔵=桜なのかもしれない。
てか、そもそも、内匠頭の切腹が桜の季節だったし。
風誘う花よりもなほ我はまた 春の名残を如何にとかせむ
(この短歌は、実のところ、後世に作られたもののようですが。)
駅に戻ってきたら、トマト銀行があった。
一時、変わった銀行名がたくさん登場して、面白かった記憶があるが、トマト銀行、健在だったのね。
ちなみにトマト銀行は岡山県の第二地銀。播州赤穂は兵庫県だと思っていたら、ほとんど岡山県だったというのを知った今回の旅…駅前のトマト銀行がそれを物語っていた。
(兵庫県の第二地銀はみなと銀行だそうです。)
こちらが、播州赤穂駅。
赤穂城までは徒歩で15分くらい。かなりアクセスはよかった。
南国的な木々の真ん中に、采配を振るう大石内蔵助の銅像がある。駅前には、多くはないが飲食店(含む飲み屋)もコンビニあって、夜遅く到着しても困らなかった。
赤穂城は、本丸庭園に入れるのが、午前9時。
スタンプは本丸門の内側に設置しているので、その時間じゃないと対応できない。平日の朝に訪れたのに、スタンプを押している人を3人見かけた。城ブームを実感する。
駅には、大石内蔵助の辞世(こちらは実際に大石が詠んだものという記録がある)掲げられていた。
あら楽し 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし
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