あかね色 第一回公演
「真説・春琴抄」
原作:谷崎潤一郎
脚本:柳井祥緒(十七戦地)
演出:三浦佑介(あサルとピストル)
制作:神崎ゆい(ゆめいろちょうちょ)
美術:石塚うた
音響:臼井倶里
衣装:153
撮影:山本詩乃(7millionsーナナミリオンズ―)
宣伝美術:ハコファクトリィ
プロデューサー:石原あかね
あかね色さんの初プロデュース公演「真説・春琴抄」を観てきた。
遠征以外では、たぶん、一番遠い劇場だった気がする。遠いというか、終了後、帰宅までに一番時間がかかった、というか。駅から劇場までの距離も含めて…だが。ふれこみでは、65分の短い芝居なので、20時の部でも、21時過ぎには終わりますよ…ということだったが、まっすぐ帰宅したら23時を軽く回っていた。
遠い…
しかし、今回の舞台、その遠さも含めて、よかった。
一人で帰る道々、色々考えることができるから。
そういう、考える気持ちになる芝居を見るって、幸せなことだと思う。
上演前に、演出の三浦さんから、ちょっとした前説があった。
ステージも上演始まる前なら、撮影OKですよ、と言われて、少し写真も撮った。こんなステージです。
散乱しているのは、原稿用紙です。
着物とか鳥籠とかがモチーフになっています。見えづらいですが、着物の手前の扇の手前につり下がっている小さな鳥籠の中には、「春琴抄」の初版本が入っているのだとか。
正面の小さな文机で谷崎は執筆しているのですが…。
「真説・春琴抄」とあるのは、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」をベースにしつつ、谷崎夫婦の実人生も登場するから…かな「春琴抄」では、サディスティックな盲目の美少女に尽くすことに悦びをおぼえる男が主人公であり、それが谷崎自身にオーバーラップしているというのが定説になっている。当の谷崎自身もそれを認めるような随筆を書いているのだが、これに真っ向から異を唱える形で、本作は始まる。
記者の鮎川(小山蓮司)は、谷崎の2番目の妻、丁未子(木野コズヱ)から「処分してほしい」と、谷崎から結婚前にもらったラブレターの束を受け取る。再婚するので、持っていけないというのがその理由だが、わざわざ記者に渡すところが怪しい。しかも、その場で読ませてるし。そして、谷崎と現夫人の松子との本当の関係を知りたければ、谷崎の弟である精二に聞けばいい、みたいなヒントまで与えちゃう。
弟の精二(田中智士)は、大学教授で、文筆業もしている。が、兄に対しては、とても批判的。ぶっちゃけ、あんまり性格が良くないように感じられる。
この人の話を聞いているうちに、本作品(春琴抄の外側の谷崎夫妻の居る世界)の舞台が、昭和14年であることが、まざまざと浮かび上がってくる。長男である谷崎が、弟妹の面倒を見るのが当然であり、大学教授であっても次男にはその義務がないと言い張る精二から、「家父長制」という死語がぽーんと浮かぶ。
谷崎は、現在の妻、松子の魅力に抗えず、しかしそれは、彼女が美人というわけではなく、なにやら性的な魅力があるらしい、と精二は主張する。そして、二人は夫人が谷崎を使用人のように扱うプレイを楽しんでいる。その楽しみを完遂するために、彼女が妊娠した時、無理矢理中絶させた過去があるらしい。
それを「とんでもないこと」と評する精二だが、その感覚は、赤ちゃんが可哀想…みたいな現代的な感覚ではなく、「生めよ、増やせよ」とされていた軍国主義の日本において、産まない選択肢を持つなどとはあり得ない的感覚なんだろうと感じた。決して、台詞にあるわけではないのに、時代背景が浮かび上がるのは、脚本と演出が細やかにその時代を再現しようと努めているから、じゃないだろうか。
その辺りの誠実さが、昨今の演劇の中では、秀逸だったと思う。
田中智士は、この精二役のほかに「春琴抄」の登場人物、利太郎を演じているのだが、どちらも的確に作品上のヒールを演じている。ヒールだけど、ちゃんと血の通った、その人物が生きてそこにいる感覚。丁寧な役作りで、すっかり引き込まれた。
そういう「ただの悪役」ではない利太郎だから、この「春琴抄」では、春琴が火傷をした原因が利太郎とは思えない。もっと理性的に春琴に意趣返しをできるキャラクターになっている。
その分、犯人っぽく描かれているのが、木野コズヱが「春琴抄」ターンで演じている“照女”。照女は、原作の小説にも登場するキャラクターだが、原作では、盲目の師弟コンビの世話をするために雇われた少女、“鴫沢てる”として登場する。当然、犯人であろうはずがない。
が、この芝居では、盲目の春琴の小間使いとして当初から登場、佐助(藤波瞬平)が、春琴からひどい仕打ちを受けながらも、彼女に尽くし抜く姿に、内に秘めた嫉妬を表現する場面がある。
そんなに、「苛められるのが好き」なら、私も…と、佐助に馬乗りになって責め立てるのだが、佐助は、春琴以外からは、こんなことをされたくないとキッパリ拒絶する。佐助は、春琴こそ完璧な美(盲目ゆえに目を伏せていることさえ)であり、彼女に奉仕することこそ、自分の幸せなのだ、と言って、さらに照女を激昂させる。
春琴は、ウグイスを飼っているのだが、原稿用紙で作られたウグイスを握りつぶす木野の鬼気迫る姿に、こういう春琴抄もいいかもしれない、と思った。
爆発するような芝居はないが、木野の静かな狂気が、心に残った。そして、この時、照女の狂気が、冒頭の丁未子の狂気に繋がるのを感じた。「真説・春琴抄」は、あの「春琴抄」の新しい解釈ではなく、「春琴抄」を通した、谷崎と三番目の妻・松子を読み解く物語なのだ、と納得した。
佐助を演じ、谷崎を演じた藤波は、これまでで一番低い声を使って、色々なものを抑え抜いた佐助を体現していた。
春琴と松子を演じたあきやまかおるは、佐助にとっても理想の美女、谷崎にとっての最愛の妻という難役を、説得力をもって演じた。松子の方は、さすが、声優的変わり身のある芝居を見せ、春琴の方は、静と動、悲しみと怒りを美しさを失わないまま、幅広い表現力で見せてくれ、最後は、コミットしようとする他人を寄せ付けない、「二人だけの世界」の存在が、他者を必要以上に攻撃的にするのかもしれない…という、「真説」に到達できたような、そんな二人に圧倒された。
佐助が春琴にプレゼントした簪を使って目を突くというアイデアは、ロマンチック
鮎川を演じた小山は、このメンバーの中で、ちょっと損だったかな…と思ったが、(原作にないキャラクターだし、難しかったと思う)ハートのある芝居には好感が持てた。
最後に。
これまで、なよなよしてるとしか思っていなかった谷崎潤一郎だが、よく考えてみれば、戦争中に「細雪」を書くなんて、相当、腹がすわった男なんじゃないか、ああいう時代に、個人の愛や性癖を貫こうとか、むしろかっこいいと思うようになった。
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