宝塚専科バウホール公演「神家の七人」観劇

ミュージカル
「神家の七人」


作・演出:齋藤吉正
作曲・編曲:手島恭子
振付:若央りさ、百花沙里
装置:稲生英介
衣装:加藤真美
照明:佐渡孝治
音響:山本浩一
小道具:下農直幸
歌唱指導:山口正義
パペット製作:清水千華
演出助手:谷貴矢
舞台進行:表原渉
舞台美術製作:株式会社宝塚舞台
演奏:宝塚ニューサウンズ
制作:渡辺裕
制作補:松倉靖恵
制作・著作:宝塚歌劇団
主旨:阪急電鉄株式会社


久々の専科バウ公演。前回も良かったので、今回も期待いっぱいで、行ってきた。


タイトルが「神家の七人」なので、西部劇の「荒野の七人」のストーリーを下敷きにするのかな…と思っていたら、全然そんなことはなく、戦争から帰ってきたギャングの息子が、一家を廃業して幹部たちと一緒に神父になる修行をするという荒唐無稽な物語だった。
そして、観終ると、荒唐無稽にもかかわらず、なんだかほっこりしてしまう…そんな素敵な舞台だったし、専科生に囲まれた月組生の頑張りに胸が熱くなる公演だった。


第二次世界大戦後のアメリカ、ボルチモアが舞台。
全編を、DJ(早乙女わかば)がリクエスト曲を届けるラジオ番組を背景に進めていく。芝居の中のナンバーも、リクエスト曲のように紹介されたり、DJを介すことで、全体がひとつの劇中劇のような、フィクション感が増すため、荒唐無稽な物語が、より受け入れられるような下地になっている。


第二次世界大戦の欧州戦線で戦ったイヴァン・ターナー(轟悠)が帰国した日、それは、父である、マフィア企業の社長、ウィリアム・ターナー(華形ひかる)の葬儀の日だった。
急死したターナーを慕う幹部の6人の前で、イヴァンは、組織(ターナーズコーポレーション)の解散を宣言する。そして、自身は、見習い神父として、修道院に入ると言い出す。心の優しい子供だったイヴァンは、戦争経験を経て、二度と人を殺すことはしたくない、と固く心に決めていたのだった。
6人のおじさんたちは、悩んだ末、イヴァンと一緒に修行の道に進むことを決意する。そのメンバーは以下の通り。
クライド・モリス(汝鳥伶)…59歳。筆頭幹部。あがり症で、肝心な時に致命的なミスを犯す。こっそりと猫を飼っている。
アルフ・ブラウン(一樹千尋)…55歳。やたら気性が激しい。思慮も浅いらしい。
ハリー・スミス(悠真倫)…52歳。酒と女に目がない。
ルイス・フィッシャー(春海ゆう)…53歳。真面目なビジネスマン風。組織の頭脳。
ミック・タイガー(蒼瀬侑季)…48歳。マフィアなのになぜか、おねえキャラ。
レイ・カールズ(周旺真広)…67歳。耳と記憶があぶない。
つまり、これ、研33のが25歳の青年を演じる一方で、専科の芝居巧者3人と月組の研6~8の若者たちが、同じような年齢のおじさんを演じるという、ものすごいチャレンジ作品なのだ。
そもそも、こんなにたくさんの台詞しゃべったことないだろう、という生徒たちに、専科の重鎮に伍して、彼らの友人で仲間である芝居をしろというのだから、どれほどの無理難題…[爆弾]しかも、急死したボスの幽霊が現れ、その存在は、息子のイヴァンにしか見えないという設定のため、この自由な専科さんからも、さんざんいたずらを仕掛けられるという…[たらーっ(汗)]
月組下級生の皆さんの頑張りは、どれだけのものだったか、想像するだに、頭が下がります。でも、貴重な経験だったよね[exclamation×2]


そんなこんなで神に仕える生活に入った七人(だから「神家の七人」[ひらめき])だったが、イヴァンの前に、死んだ父の幽霊が現れる。そして、息子の身体を乗っ取り、かつての幹部たちと酒を飲んで大騒ぎ。翌朝、イヴァンは二日酔いでボロボロ…以後、ターナーはたびたびイヴァンの前に現れて、彼の身体を乗っ取るようになる。
ということは、演じ手ベースで考えると、これ、轟悠の一人二役ということになる。品行方正でおとなしいイヴァンと、豪放磊落なウィリアムを一瞬で演じ分ける。しかもコメディ。齋藤先生じゃなきゃ、トップ・オブ・トップにこんなこと、やらせられないわ[あせあせ(飛び散る汗)]


その分、乗っ取った方の華形は出番が少なくなるのか、というと、ちゃんとそこは仕掛けがあって、第二部は、25年前の若かりしウィリアムの恋の顛末が描かれる。
なぜ、イヴァンには母親がいないのか、生前、父は何も言わなかったが、そこには悲しい恋の物語があった。
ここで、早乙女わかばは、ウィリアムの恋人=イヴァンの母親の役を演じており、まあ、それが本役ということになるのかな。


最後の心残りとして、別れた妻の行方を探す父の幽霊(実態はイヴァン)は、やがてひとつの真実にめぐり会う。
欧州戦線でイヴァンの命を救った古いライター、それは、父がプロポーズの時に母に渡したものだった。イヴァンの母もまた、姪の身体を乗っ取ってイヴァンに会いに行った=その頃に亡くなったということらしい。
(姪も早乙女が演じており、回想シーンの叔母との演じ分けも見事だった[ひらめき]
父と母はどうやらあの世で再会することになりそう…と綺麗に纏まったような話の脇筋で、クライドの愛猫をめぐる爆笑の物語もあって、これがまた、最高に面白い。


主演のは、若者役ということで、少し高めの声を使っていたせいか、かなり声がしゃがれていて、歌も大丈夫かな[exclamation&question]という状態だったが、どんなことにも挑戦する柔軟さを失っていないので、次回は、もっとよい状態で観られることを願っている。
華形の自由さは、まるで銀ちゃんのようで、この人の銀ちゃんが観たいな~[黒ハート]と、ふと思った。
銀ちゃんと言えば、宝塚の生徒多しとはいえ、二度も遺影になって葬式が行われた人って他にいないのではないかしら[exclamation&question]しかも、その遺影が素晴らしすぎて、これ見てるだけで幸せな気分[わーい(嬉しい顔)]
愛すべき六人の幹部と、紅一点の早乙女の素晴らしさについては、なんと語ればよいのか。
早乙女は、物語全体のヒロインというべき、ロビン・ホワイトと、その姪、そして、きゃぴきゃぴしたラジオのDJ、さらにまさかのおじさんDJまで演じ分け、ただの娘役のとどまらない魅力を放出した。
月組下級生も含め、6人いるのに、それぞれのキャラがしっかり立っていて、生徒の学年差なんて飛び越えて、ちゃんとチームになっていたことの素晴らしさ、その一方で、ギャングとしてポーズを取った時の、男役としての経験値の差が如実に出るところ、どっちも真実で、どっちも感動した。
役者としては、経験値なんて関係ない、ガチ勝負[ひらめき]専科生を差し置いて、下級生がさらう場面もあった。
でも、ただギャングとして立つ場面だと、経験値が勝つ。芝居じゃなくて、居方だから。それは、長年培ったものが、意識しなくても出るかどうかのこと。
宝塚とは、問答無用の実力(華なども含めた意味で)世界であると同時に、男役・女役としては、経験値の世界でもある。だから、その一筋縄ではいかない世界に魅せられるんだな~[るんるん]と、あらためて感じることのできる、とてもいい公演だったと思う。


バウホールだけの公演は、少しもったいないと思う一方で、バウホールだからこそ成立した公演だとも思う。そういう意味でも、ほんと、一筋縄ではいかない公演。観られて幸せでした[揺れるハート]

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