大劇場公演に行ってきました。
実にフランス革命っぽいロビーのお花
さて、私は、幼少の頃から「ベルサイユのばら」に慣れ親しんでおり、あの作品世界の登場人物が大好きで、刷り込まれまくっている。実在の人物についても。
だから、「1789」の時も、こんな風に文句を書いている。
三つ子の魂百まで、恐ろしい…
(あ、いえ、3歳じゃなかったですよ。ちゃんとマンガ読める年でした)
そんなわけで、「ベルばら」(原作ですよ、念のため)的なロベスピエールとサン・ジュストでないと、カラダが受けつけないらしい。
そうじゃないかとは思っていたが、かなり重症らしいと、このたび、気づいてしまった。
前途多難…
というわけで、ここでの記事は、話半分、いや、十分の一に聞いてくださいませ。
いつものように、箇条書き形式で記載しております。
・これは「革命家」ロベスピエール(副題)の物語なのか
革命が成功した後、「苦悩する政治家-しかもあまりいけてないーロベスピエール」の物語に見えた。(生田先生の作品、前回も副題に違和感あったなぁ~)
あ、政治家としてダメだったのは、彼の本質が革命家だからですよ、というエクスキューズか
他の多くの先行作品で描かれている「革命」シーンは、手垢がついているということで敬遠したのかもしれないが、まっすぐに革命を達成したロベスピエールをまず描いておかないと、単なるダークヒーローになってしまうと思った。
生田先生はダークヒーローの方が好きかもしれないが、私はそうじゃないから、消化不良
・一番気になったのは、物語が動いていく時、そのキッカケとなる重要な“キーワード”がイケてないこと。
たとえば、国王の死刑を決めるサン・ジュスト(朝美絢)の有名な演説。“敵だ”の連呼になっていて、頭悪そうに感じる。
たしかに要約(演説自体はけっこう長かったらしい)をよくよく読んでみると、“つまり敵である”というようなことが書いてあるが、えー、それなのそこなの
と思った。
議会が、元国王ルイ・カペーが在任中に犯した罪のひとつひとつについて、死刑に値するかを吟味する中、いや、国王を裁く法律なんてない、と言うジロンド派、いや、そうじゃない、共和制が成立している以上、国王はその存在が罪である(人は罪なくして国王たりえない)、王とは、王制の下に君臨するか、共和制の下に滅びるか、それ以外の道はないと断じたのがサン・ジュスト、弱冠25歳。これがかっこいいのに…
それを受けて、ロベスピエールが「国が栄えるため、ルイは死なねばならない」と断じて、さらにかっこいいのだ
民衆にアピールする場面なら、分かりやすい言葉を連呼するのもアリだが、議会での発言なので、議論として成立するように描いてほしいというのがひとつ、そして、一番重要なこと、なんで国王の死刑を決める重大な演説を、「革命そのもの」だというロベスピエール(望海風斗)がしないのなにより「革命そのもの」のロベスピエールが、どうして国王の処刑を決めるその場にいないの
そんな人、革命家でもなんでもないやん
(もちろん、史実では、その場にいて、上記のようなカッコいい発言をしています。)
・さきほどのサン・ジュストの演説(史実)について、一応、背景的な部分を少し書いておきたい。
国王がなぜ君臨できるか、というと、王権神授説というのがあって、それによれば、王権は神によって与えられたものだから、その不可侵性は神によって保証されていることになっている。
で、当時のフランスは、既に、王制を廃止し共和制を宣言している。
ということは、上記の説は完全に否定されなければならない。
神によって与えられた権利だ、と言って自由であり、対等であるべき人民の上に勝手に君臨したのだから、その罪は万死に値する。王であることは、共和制フランスにおいては、それだけで罪(ClimeだけでなくSinでもある。勝手に神のお墨付きを得ていると言っていたわけだから)だということかなーと私は理解している。
以下、さらに少々私見を述べさせていただくと。(研究家ではない一人の現代人の感覚なので、感覚のズレや見識違いなど、ご指摘いただけると嬉しいです。)
地続きであるヨーロッパの多くの国は、まだ絶対王政の中にいる。
民主主義国家が多数を占める現代であれば、革命が起きたら、王様は亡命すればいい。
でも、絶対王政に囲まれた唯一の共和制の国から国王が亡命したら、他国の力を借りてフランスを攻めてくる可能性がある。他国は、その絶対王政を否定する思想が地続きの国境を越えて自国に及ぶのを極端に恐れるだろうから。
だから、フランスとして共和制存続のためには、国王は処刑するか、生涯幽閉するか、以外の選択肢はない。
それでもジロンド派らが、処断できなかったのは、この世界史上ほぼ初めての事態に、新政府や国民議会がどう対応していいかの戸惑いを持っていたからだし、彼らの心に刷り込まれている権威(王権)への畏れは、相当強烈だったのではないかと推察する。そしておそらく、国王であったルイ・カペーは非の打ちどころのない良い人だったのだろう。
これに対して、「国王=罪」というのは、とても新しい概念だ。個人の資質とか、在任中にどんな罪をおかしたかとか、一切関係ない。彼が国王であったというまぎれもない事実が、彼を断罪するのだ。
・思ってもみなかった新しい概念を聴かされると、人は沈黙する。動揺する前に、理解できなくて沈黙する。私はそれが見たかった。人々の心に新しい楔が打ち込まれる瞬間を。
議会は議論の場だ。(日本にいると、時々、そうじゃないかもしれないとは思うが。)客席にいる私たちが、おおーっと思うような演説で、ジロンド派を駆逐してほしい。むしろ、話を盛ってもいいくらいだ。
なんだよ、「敵だ」って。そこからの敵味方入り混じっての大騒ぎって。演説が効いてないじゃないか
・ここですっかりしょんぼりしてしまった私は、たぶん、あまり、丁寧に舞台を観ていない。
その、なんとなく、眺めている私をさらに打ちのめしてくれたのが、ダントン(彩風咲奈)だった。
なんか、この人、頭が悪い…。
「るろうに」の齋藤一に、間違って佐之助が合体したような…。
この人には難しい言葉が通じない。本人も言葉より気持ちを大事にしているようだが、それだったら、嫁の気持ちくらい気づけとも思う。(女の気持ちには鈍感っていう、例のエクスキューズですね…
カッコ悪い…)
・そんなダントンが失脚した後、呼び戻すデムーラン(沙央くらま)。
策のないダントンをただ呼び戻したら、彼を窮地に陥れるだけなのに、なんでそんなことしたの
インテリの君が言葉を弄してもだめなことを、頭が悪い上にクリーンじゃない(とマクシムはレッテルを貼っている)ダントンがなぜ覆せる友達なら呼び戻すなよ~
・このへんでもう、「ひかりふる路」どころか、脳内が暗黒状態になってしまったので、トップコンビの「物語」は、すでになんとなく…の記憶しかない。
が、マリー=アンヌちゃん、何をして暮らしているのか、不思議でならない。(印刷所のお世話になる前…ね)
・永久輝せあが演じたル・バが、革命家の中では唯一の救い。この人を観ている時はつらくならない。まあ、そんなに描きこまれた人物ではないので、演じる側の自由度が高いのかもしれない。=単に私が生田先生の感性について行けないということか
・結局。ロベスピエールにとっての「ひかりふる路」が見えないまま、年を越すことになりそう。来年の東京で、少しは理解できるかしら
休憩時間には、お酒で気持ちを落ち着ける…どうどう
・ショーは既視感たっぷりだったが、男役さんが1場面ずつ脚を見せてくれるのは、とても幸せかも
・三角関係の果てに誰か一人が死ぬという設定の結末は、こういうのも、こういうのも、こういうのもあるよね、というケーススタディをゆうひさんのサヨナラ公演で実演してくれたっけなーと思いつつ、宙組版との違いに思いを馳せた。
やっぱ、寿組長は稀有なスターなんだなぁ~、三角関係の一翼になるんだから。そして、自ら手を下さないのね、と、すっしーさんのボス感に、あらためて感動したりして。
・でも、可憐さは、うらら様よりあーさかも。(ちなみに同期)
・あやなちゃん(綾凰華)のロケットには驚いた。なんか超脚の綺麗な人が後から出てきたと思って顔を見たら
いやー、組替え最初からしっかりアピールできてよかった。
・ひとこちゃん(永久輝)の女装については、お尻から脚のラインが実に見事だな~と、見惚れていました
・雪組の誇るおねーさま陣、退団で様変わりしたけど、ちゃんと新しいおねーさまが育っている。よかった今、伸び悩んでくさっている娘役さん、雪組では、研10越えてからもうひと花ありますよっ
この記事へのコメント