「円生と志ん生」3

「その2」はこちらです。


「その2」からさらに3ヶ月後。年も明けて昭和21年の早春。
円生と志ん生は、中国人街の外れにあるあばら家…というか、既に家と呼べないシロモノに暮らしていた。
福屋のおかあさんから紹介された歯医者の家で、ウォッカを取り上げられた志ん生が、それを探し出してこっそりと飲み、水で薄めたことがバレて追い出されたらしい。
そして流れ流れて、今はホームレス。
そんな場所で二人がブツブツと呟いているのは、落語「火焔太鼓」。こんな状態になっても、まだ二人は、日本に帰って落語をやることを諦めてはいなかった。


出掛けていた円生は、志ん生のために残飯や炊き出しのおにぎりを持って帰ってくれる。そのついでに、逢坂町に寄ってきたと言う円生。
そこで仕入れた情報は、あまりにも悲惨なものだった。
ソ連兵に乱暴されかけた青柳さんは、めちゃくちゃ暴れ、そのはずみでデグチャレフが暴発、亡くなっていた。止めに入った紫さんが重傷で入院し、おかあさんも看病疲れで入院、今は、初雪さんが別の置屋に移って二人の入院費を稼いでいるという。
明日、どこかでいい紙を拾って、見舞の手紙を書こうと言い出した志ん生、そこで、二人は、再び古道具屋の噺に戻ってしまう。
口から出まかせに言った「小野小町が鎮西為朝に送った見舞状」だの「三蔵法師が沢庵和尚に送った詫び状」だのに端を発し、二人は、古道具屋にある、胡散臭い品々の故事来歴を紹介する歌を歌う。
その最後に二人は、[るんるん]めくりが返り、出囃子ひびき、客の拍手で、座布団にすわり、ことばのわかる人たちの前で、思い切り落語を語りたい[るんるん]と歌い上げる。


そして、日本に帰って落語をやるためにどうしたらいいか、相談する中で「所帯を持つんです[揺れるハート]と言い出す円生。
志ん生の「どっちがカミサン[exclamation&question]というのは、戯曲にはなかったが、これが入った方が、たしかに座りがいい。それくらい、円生の発言は突拍子もないということが、素直に伝わる。
大連には、男性がほとんどいない。関東軍に一斉動員されて、そのままソ連軍の捕虜としてシベリアに贈られてしまったのだ。女と老人しかいない大連は治安に不安があるし、心細くもある。そこで、シベリアから亭主が帰ってくるまでの「期間限定」と割り切って、夫婦になってくれる男性が求められているのだという。
女性に受けのいい円生は、既に、これは、というご婦人のアタリをつけているという。


などと穏やかでない話をしている時、ボロボロの衣装を纏った4人の女が二人の前に現れる。
突然現れた女たちに驚く二人だが、彼女たちの身の上話を聞いてさらにびっくり。牡丹江付近から大連まで逃げてきて、封鎖を抜けようとしてソ連軍に撃たれて亡くなった若い母親の幽霊だったのだ。
4人は、通りがかった中国人に子供たちを託し、安心して死んだものの、子供に持たせてやるものを渡し忘れたために成仏できない。
その「忘れもの」が彼女たちの役名になっている。
「おしゃぶり」「お人形」「風呂敷」「写真」。これが役名として戯曲に書かれている違和感がなんとも…(笑)
彼女たちの話を通して、ソ連軍の侵攻により、追い込まれた満洲の日本人開拓村の人達の行動がわかる。集団自決[爆弾]
これは別に物語上だけの話でなく、特殊な例でもなく、世界の各地で、沖縄で、日本人が取った行動の一例に過ぎない。民間人である彼らが、何故「集団自決」に追い込まれねばならないのか。というところに、この当時の日本の民間人が、どれだけ軍と一体化していたか、が痛々しいまでに伝わってくる。
そういう、戦争のいたましさを背景にしつつも、この舞台は、それを声高には語らない。
4人の幽霊がここに現れたのは、円生と志ん生が、彼女たちを象徴する「おしゃぶり」「お人形」「風呂敷」「写真」を落語のネタとして口にした偶然から。「牛若丸がしゃぶっていたおしゃぶり」「紫式部が抱き寝したお人形」「樋口一葉が使った仕入用の風呂敷」「坂本龍馬と姉さんの乙女の記念写真」…と、『火焔太鼓』で使えそうなフレーズを言い合っていたことで、それに呼ばれて現れたのだ。
二人にとっては、「ガラクタのネタ」だったそれが、この4人には、それゆえに成仏できない「子どもの宝」だった[exclamation]


「この世界にガラクタなんて一つもありませんよ。どんなものであれ。みんな大事な宝物」


ゆうひさん演じる「写真」が言い出し、4人で唱和するこの言葉が、二人の噺家に、大きなヒントを与える。
『火焔太鼓』は、おかみさんに頭の上がらない古道具屋のダメ主人が主人公の落語。しかし、古道具とは、それを持っていた人にとっても、それを買いに来る人にとっても、かけがえのない宝物なのだ。であれば、古道具屋の主人は“宝物の仲介人”という素晴らしい職業ということになる。その視点は、落語に新しい風を吹かせるに違いない。
いつ帰れるかわからない状態であっても、まだまだ落語を磨こうとする志ん生。生きて日本に帰るためなら、どんなことでもやってやろうと覚悟を決める円生。それぞれの想いの中、1幕の幕が下りる。


危機的状況の中、健気に笑いを失くさない人々の物語である「円生と志ん生」の中で、一番悲惨な場面がこのシーン。
4人の女優はなんと幽霊。彼女たちの歌う『若い母親たちの嘆き』という歌は、こちらもベートーベン作曲とか。原曲をあちこちから持ってきたのは、作曲の宇野先生に負担をかけないように…との配慮とのことだったが、それにしてもバラエティに富んでいる。
井上ひさしさんは、音楽にも造詣が深く、かなりたくさんのレコードを蒐集されていたと聞くが、さすが、としか言いようがない。


さて、ゆうひさん演じる「写真」。
若い母親たち、と曲のタイトルになっているように、ここでは全員が20代で小さな子を抱えていた設定かな。
それぞれ少しずつ衣装が違っていて、ゆうひさんはボロボロながら着物姿で草履を履いていた。(太田さんはズボンに靴姿で男装している感じ。)
「写真」は、家族で撮った写真を子供に持たせ、いつか日本に帰る時の証拠になりますように…と考えている。
その台詞を聞くと、いやでも、私が子供の頃に始まった中国残留日本人孤児の親探しのための訪日を思い出してしまう。こんな風に、親切な中国人に子供を預け、命を落としていった母親も多かったのだろうと思うと、涙が止まらなかった。
「写真」の旦那さんが無事にシベリアから戻り、家族で撮った写真がきっかけで亡き妻が守り抜いた我が子に再会できていればいいな~と心から思った。そして、「写真」のゆうひさんは、とても可憐な、20代にしか見えないスレンダーなお母さんでした[ぴかぴか(新しい)]
(被り物の毛布で顔があまり見えないのがミソ)
太田さんがリーダー格、池谷さんは大人っぽい風格があって、そして前田さんは肝っ玉母さんな雰囲気。とてもチームワークのよい幽霊さんたちでした[ひらめき]

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