「カントリー」の裏側(3)

ゆうひさんご出演の「カントリー」、その台詞の向こう側の世界をもう少し考えてみたい。(2)はこちらです。


そんなこんなしているところへ、ソフィーから電話が入る。電話にはコリンが出て、あれこれと話し出す。子供たちは元気かと聞いたり、リチャードからプレゼントに靴を貰ったことを話したり。
すると、リチャードは、電話口で話すコリンのところにやってきて、後ろから抱き締め、髪にキスなどしてくる。電話口からソフィーに聞かせるようにかな…と思ったのは、私だけだろうか[exclamation&question]
コリンの方は、リチャードがふざけていることは理解し、嫌悪感を示してはいないものの、彼のハグやキスに1ミリの反応も見せないし、むしろ、うざっ!という空気を醸し出す。
ここでも、TPO関係なく欲情したり、性的なことを仄めかすリチャードに対して、朝や昼だったり、人前だったりでは、そういうことはおくびにも出さないコリンの対比が鮮やかだ。


英国は、世界でも性的な抑制度の高い国だったとか。(20世紀に読んだ本の情報なので、現代は少し違うのかもしれない。)
厳格な家庭に育ったであろうコリンは、両親の過干渉に腹を立てているようだけど、家庭における父親と母親の立ち位置、というか、子どもの前で、どれくらい、いちゃつけるかみたいな部分は、両親から受け継いだものが、わりとそのまま出る部分じゃないかと思う。
とはいえ、コリンの場合、それだけでもないようで。
というのは、昼間からベタベタするのはイヤ、とか、よくないと思う、という考えの持ち主であっても、実際に愛する人からハグされたり、キスされたりしたら、それに対しては素直に反応してしまうもので、その上で、ちょっと、今はヤメテ…みたいなスタンスになるハズ。
でもコリンって、なんか、昨夜、夫婦生活があったとしても、今朝はそのこと自体覚えていないというか、なんか、普通じゃない部分を感じる。
最初は、ゆうひさんのファンとして、お、ここでキスシーンとかあったりする[exclamation&question]みたいな緊張感で見ていたから、より、性的な部分の特異さに気づいたけど、そういえば、それだけじゃなくて、この人の忘却力、ちょっと力技的にすごいんじゃないか…[爆弾]と、この辺で、ようやく、異常事態に気づいた私。


とりあえず、先へ進みます。
リチャードは、コリンへのいたずらをやめ、コリンに対して、「お金に気づいたか」をソフィーに聞くように言う。どうやら、ソフィーのところにお金を置いてきたらしい。
リチャードは、ソフィーが喜んだだろうと思って聞くのだが、コリンは、ソフィーがビックリして怖くなったと聞き、彼女に同情し、リチャードのしたことを謝罪するような雰囲気に。そして、その流れで、そっと靴を脱ぐ。
そのお金は、ソフィーがリチャード夫婦の子供たちを預かってくれることに対しての、リチャードなりの礼金だったようだが、やや、金額が大きすぎたようだ。


電話を切った後、コリンはリチャードに、ソフィーが怖がっていた、と言う。
その一方で、ソフィーはリチャードが好きなはずだ、とも言う。あなたの話をすると、声が変わるもの、と。
それを聞いて、リチャードは、それを認めずに、彼女は俺たちを軽蔑しているとか言い出す。リチャードは、警戒しているのかもしれない。コリンがやがてソフィーと自分のことを疑い、嫉妬することを。
「あなたは自分を軽蔑している」
そういうリチャードの姿に、コリンはそんなことを言う。たしかに、リチャードはリチャードで、心の闇を抱えている。その闇が、自分に起因する(強すぎる性欲とか、医者なのに倫理観が薄いとか…)ものなのか、まともではない妻、コリンに起因するものなのか、たぶん両方なんだろうな。


だから、コリンとリチャードのすれ違いは続いていく。それは、第1部の「キスして」から始まっていた。
欧米では、朝起きて、出掛ける前に、帰ってきたら…と、ごく普通に交わされるキス。コリンにとって、それは、安心なのだろう。 でも
リチャードにとっては、そうじゃない。キスはどちらかというと「始まりの合図」、もしくは前戯。
コリンが「キスして」と言ったのは深夜だったから、そのままなだれ込んだとしても、コリンは了承したと思う。でも、リチャードは、それだからこそキスできなかった。同じ屋根の下に愛人のレベッカがいるのだから。


 一方のコリンは、バースデーカードを送ってきた両親への暴言、そして、年長者・モリスを嫌っていることから類推するに、家父長の強権的な家庭で育ち、たぶん、色々なことがあったのだろう。でも、基本的に、「起きたこと」そのものは、忘れている。そして、イヤなことがあるたびに、彼女は、忘れてきた、んじゃないだろうか。


微妙な雰囲気になりながらも、二人きりのバースデーを楽しむために、二人でどこかへ行こうという話になる。せっかくだから、石垣の辺りに行ってみよう、と。コリンは、プレゼントのハイヒールを履いていくと言い出して、リチャードを慌てさせたり。そして、唐突に、昨夜、リチャードが子どもたちをソフィーのところに送っている間に、ドライブをしたと言い出すのだ。
コリンは車に乗った。車をバックで発進させた時、車のミラーに自分の顔が写った。それは「共犯者の顔」だった、とコリンは言う。どんな顔だったのか、と聞かれても再現できないコリン。
でも、それって、何の共犯者だったのだろうか。
走っているうちに、コリンは、色々考える。
古い道が嫌い。まっすぐの道が嫌い。道路に支配されるのが嫌い。私の旅はまだ始まったばかり。
そして道が尽きたところで、コリンは車を置いて歩きはじめる。あの裏道を見つけてしまったからは、そこに向かうしかなかった、と。
そこで、コリンは、モリスが自分を呼んでいることに気づいた。彼は、コリンに金の時計を見せ、落としたんじゃないかと思って追ってきた、と言う。それを見て、コリンは答える。
とても綺麗だけどあたしのじゃない、とても華奢だけどあたしのじゃない、と。


その言葉を聞いた時、何の脈絡もなく、それは、リチャードがくれたハイヒール、でもあるかも[exclamation&question]と思った。
そして、モリスに会った辺りから、コリンの話は、事実ではないのかもしれない、という気がする。本当は、車にも乗らなかったのかもしれないし、ドライブしたとしても、道が尽きたあたりでUターンしたかもしれない。どう考えても、こんな場所にモリスが現れるのは、ホラーだ。

さらに、コリンとモリスは、石でできたベンチのようなところに行くのだが、その場所の描写が、レベッカが薬に浮かされて饒舌に語っていたあの場所についての話をなぞっている。
モリスを嫌っているコリンが二人で散歩を続けるとは思えないし、レベッカの発言をなぞるのも、普通では考えられない。いや、レベッカが研究している場所っぽい、と知っただけでも、近づきたくはないだろう。
つまり、コリンは、レベッカのことを忘れているのだ、とわかる。レベッカが記憶からポーンと消えたから、金の時計とか、冷たい石の感触だとかが、記憶の中に残されて、居場所を求めているのだろう。それを論理的でないと言うことは簡単だけど、論理を求めることは、彼女の心をバラバラにすることになってしまうかも…。


だから、最後のモリスとの会話は、コリンの心の叫びだ。
「これから先の人生、ずっと愛を装って生きることになったら?」
「 君ならきっと、君たちならきっと、一点のシミもなく完璧に愛を装うことができる」


怖いんですけど。


というわけでコリン役、大空ゆうひ。
大胆さと繊細さが同居している女性に見えて、実は正常と異常の狭間をさまよっている女性なのかもしれない。
潔癖というか、妻であり母でありながら、性的なアプローチを悉くブロックするキャラを、かつて色気のある男役で鳴らしたゆうひさんが演じるというのが、面白くて。
ゆうひさんが、演じているせいか、「死と乙女」との共通点も多く感じた。
自分が「何者でもなく一人で生きていけない」から、社会的な地位のある夫の妻として生きている。でも、心の底では夫を信用していない。特に女性関係。だから、夫婦の会話は、すれ違うまくる…みたいな。
そういうミステリーが似合うな…と思う。
また、今回は、三方客席の小さなステージで、より密度の濃い芝居を見せてくれた。
膨大な台詞と、噛み合わない会話。芝居を観た~という満足でいっぱいの一週間弱でした。


ところで、「あなたご自慢のユーモアのセンス」ってなんなんでしょうね。リチャードにユーモアがあるとは思えなかったけど。

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