文学座アトリエ公演「青べか物語」観劇

文学座5月アトリエの会 文学座創立80周年記念
「青べか物語」


原作:山本周五郎
脚色:戌井昭人
演出:所奏


装置:石井強司
照明:阪口美和
音響:藤田赤目
衣裳:宮本宣子
振付:新海絵理子
舞台監督:寺田修
制作:白田聡、最首志麻子


「青べか物語」の舞台を観るのは、黒テント公演以来。その時の感想は、こちらです。


あれから5年数ヶ月が経過し、当時の黒テントの劇場はなくなり、出演していた斎藤晴彦さんも鬼籍に入られた。
そして、今回、「青べか…」上演を果たしたのは、文学座。文学座で「青べか…」か…と、少し驚いたが、劇団の特色なのだろうか、黒テントとはまったく違う作品になっていた。


黒テントの時に私が強く感じたのは、「猥雑さの中にある庶民の力強さ」だった。
しかし、今回の文学座には、猥雑さはまったく感じられなかった。
そもそも「青べか物語」という小説は、足掛け3年、「浦粕」というまちに移り住んだ“蒸気河岸の先生”と呼ばれる青年が体験した日々の出来事を描写した短編連作のような形の小説。どのエピソードを拾い、どのエピソードを捨てるか、で作品の印象は大きく変わる。
若者たちがあけっぴろげに性を謳歌するようなエピソードは回避され、色っぽいエピソードも、「スケベ心で飲み屋に行き、べろべろに酔わされた挙句、10万円以上の請求書を突きつけられた男の話」とか「心中しようとした男女のその後の話」とか「食事処の娘と客の間の誤解とその後」だったかな。全体的に文学的な印象が強かった。
冒頭のエピソードが「砂粒が生きている」という哲学的な問答だったこともあったかもしれない。
最後に、「浦粕」つまり、現実世界の「浦安」の2017年を表すエピソードも登場し、今の浦安は、蒸気河岸の先生が30年後に訪れた時、なんてものじゃなく様変わりしているんだな~と実感した。


脚本は、文学座創立メンバー戌井市郎の孫にあたる戌井昭人氏。
現在は文学座を退団し、別の劇団を立ち上げ、活動する傍ら、小説家としても活躍している。
エピソードの積み上げ方が、私好みで、一瞬で世界に引き込まれた。きっと、小説も私好みな気がする。
演出の所氏は、今回のアトリエ公演が演出家デビューとなる。1977年生まれだそうだから、40歳か。文学座で演出家になるのって、宝塚よりずっと根気がいるのね…。脚本に戌井氏を起用したのも、所氏の希望が叶った、ということらしい。
アトリエの真ん中に縦長の舞台を設え、客席を両サイドに配した。その縦長の舞台が根戸川(江戸川)に見えて、効果抜群だった。舞台真下に草が生えていたり。ただ、実際にそこを川に見立ててしまったら、演者は川の中で芝居をすることになってしまう。だから、舞台は実際には川じゃないことになる。べか舟は端の方に置かれ、そこだけが係留地であるかのようになっている。この、「芝居が始まる前には舞台が川に見えて、観客が川岸にいる雰囲気、でも、芝居が始まったら舞台は川じゃない様々な場所になる」ということが自然に感じられるセットと演出というのがすごいな、と思った。


出演者では、少年「長」や、ごったく屋(飯屋だが実際には女給が身体も売る)の女など多くの役を元気に演じていた鈴木亜希子が、特に印象に残った。ベテランの坂口芳貞が、先生にべか舟を売りつけるじいさんの役だったが、あまりのなりきりぶりに、坂口さんだと気がつかなかった。
そして、先生役で出ずっぱりだった上川路啓志。大変なエネルギー量だったと思う。巻き込まれキャラの先生がピッタリ似合っていた。
そして、みんなが代わる代わる演じていた“イタチ”が、浦粕というまちの象徴として、うまく機能していた。
富なあこ(山森大輔)と倉なあこ(松井工)の“砂は生きている”ダイアローグが、なんとも不思議な空気を醸し出していて、癖になるような公演だった。

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