トークショーにつきましては、「COUNTUP」の方にちょこっと書いています。祐飛さん、少し髪の色を換えましたね
さて、年末に佐倉城に行ってきました。
天守とか櫓とかがひとつもない…ということは聞いていたので、そんなに期待しないで行ってみたら、もう…大興奮
まず、こちらが馬出空堀です。
美しい
建物が何もないので、入場料など何もないのですが…このお手入れ、すごくないですか近くに建っている国立歴史民俗博物館の入場料が使われているのでしょうか
この時点で、すっかり、佐倉城址に見せられてしまいました
では、順にご案内していきましょう
この日は12月とは思えないよく晴れた日で、お城仲間の友人と、のんびり過ごしてきました。
この最高の環境の中、惜しむらくは、最寄りの佐倉駅(JRも京成も)駅前に喫茶店などが見当たらないことでしょうか。どっかに隠れてたのかな…
園内を歩いていると、「マムシが出ます」とかいう、シャレにならない看板を見かけたりしますが、冬だから冬眠してるハズ
と根拠のない掛け声をかけながら、歩き続けました。
こちらの銅像は、タウンゼント・ハリスさん。ハリスが日米修好通商条約の調印を迫った時、それを受け取り、調印のために頑張ったのが、佐倉城の城主であった、老中・堀田正睦。
そんな関係で、ハリスと堀田の銅像が並んで立っていました。
実際には、攘夷で固まっていた朝廷が調印に応じるはずもなく、堀田自身も井伊直弼と対立して失脚してしまい、「日米修好通商条約」自体は、大老井伊直弼が朝廷に諮ることなく締結に踏み切ってしまったそうですが。
ハリスさんと堀田さんの銅像の奥に本丸が広がる。
ああ、そういえば、ここには石垣もないのだった…
天守閣・櫓・門・本丸or二ノ丸御殿・石垣…お城の歴史的建造物といえば、だいたいこんなところだと思うが、佐倉城は、それがひとつもない
しかし、佐倉城のすごいところは、「ないのに、残っている」ことなのだ。これだけの広大な土地が公園として残されていることに、深く感動した。
こちらは、本丸跡。石垣がないから、周囲は土塁で覆われている。
本丸の一番端に天守閣の跡がある。
どうして、建物がないのか…というと、明治6年にこの地に陸軍歩兵第二連隊が置かれた時に、ぜーんぶ取り壊されてしまったんだとか。仕方ないですね…幕府の要職にあった人の城ですから…
ところで、そもそも石垣に使う石、関東周辺ではほとんど採掘できないとか。そんなわけで、関東周辺の城は、土塁の上に建設されている。
あの天下普請・江戸城ですら、石垣と土塁の両方が使われている。
そして、関東では、石垣よりも土塁の方が、城を守りやすいらしい。何故なら、関東ローム層というとても滑りやすい粘土層の土があるから。
西国の武士は、土が滑るなんて思いもしないから、このローム層で作られた空堀を這い上がることは不可能だったみたい。
お城に嵌まったばかりの頃は、石垣がない城なんて…と思っていたが、空堀の魅力に気づいてからは、土塁にも激しく惹かれています
さてこちらは、隅櫓の跡のようです。
周囲に空き地がなく、ギリギリの位置で撮影したため、全体が見にくいかもしれませんね。
佐倉城を後にして、近隣の武家屋敷を訪ねてみようと思ったら…残念ながら、お休みでした
外から見える景色だけ、撮影してみました。これは、庭の木で剣の稽古をする場所みたいですね。
詳しい写真は、写真帳の方にアップしていく予定です。
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