なぜ人は劇場でしゃべるのか
劇場に知人と連れ立って行く。上演中はもちろん静かにしているが、開演前、休憩時間、終演後、どうしてずっと話し続けているんだろうこんな状況になったことで、あらためて、なぜ、私たちは劇場でしゃべるのか…を考えてみた。(劇場の係の方からたくさん注意されている現在のことではなく、一般論です。)
劇場って、居心地が悪い。端席だったり、隣が空席だったりすると、なにやらホッとする。それはたぶん、パーソナルスペースを侵食するくらい近くに他人が居るという、居心地の悪さなのだと思う。だから、知人と一緒に観劇すると、端席や空席と同じ安心感を得ることができる。ただ、今度は、その安心感を維持するために、なのか、別の居心地の悪さが発生するのか、無言ではいられない空気が生まれる。知っている安心感が、無言でいることで、他人の居心地悪さに変わるかのような、「圧」がある…みたいな。(家族だったりすると、安心したまま無言でもいいのかもしれないけど。)親しさがそれほどでない方が、より、無言がつらい。なにか、自分が、その人を無視しているような、申し訳なさを感じてしまう。今、こんな事態になって、いつも一緒に観劇する友達とは、お互い最小限しか話さない暗黙の了解ができているが、(こんな事態になったので、それ以外の友人と観劇する機会はほぼゼロ(笑))こんな事態が収束したら、またダラダラ話すようになるのかな
なぜ人は劇場でしゃべるのか、それも、ほぼ舞台と関係ない話を…という謎は、はっきりと解決していないが、「ある種の居心地の悪さ」がもたらす、「仲…