大垣城
久々の城です!関西に遠征することになったので、途中下車して大垣城に行ってきました。今年は、関ケ原から420年。もしかしたら、天下分け目の戦いが行われるかもしれなかった大垣城を見てみたい…そんな気持ちで。
大垣駅から、徒歩7分くらい…のはずが、めっちゃ住宅街で、ちょっとグーグルマップ様を疑い始めた時…
なんとなく、城っぽい柄の橋の紹介板。おそらく、この下を流れる川が、大垣城の堀になっていたはず。よし!と、気合を入れる。
おおー、ありました!この日常的な、日常的すぎる風景の向こう側に天守閣が!
大垣城は平城といって、高さのない城。このタイプの城は、高低差で敵をブロックすることができないので、城下町ぐるみで防御態勢を取ることが多いとか。普段、平和に暮らしている城下町の人々や、彼らの家も、有事の際には、お城と一心同体で戦闘態勢に!(もっともこの辺は内堀の中なので、おそらくこの辺にあったのは、家臣団の家かな。)
水之手門から城内に入り、まず、目に付いたのは、この高い松の木。これは、「おあむの松」と呼ばれ、大垣では有名な物語がついている。さっきちらっと書いたが、石田三成は、「決戦は大垣城!」と考えていた。しかし、9月14日になって情勢が変化し、西軍は、夜間行軍して15日早朝、関ケ原に到着、関ケ原の戦いが始まった。大垣城には、西軍の一部の家臣が籠城しており、その一人である山田去暦は、家康の手習いの師匠をしていたことがあった。関ケ原の戦いが決着した後、大垣城でも戦闘が始まったが、その中で矢文が届いた。恩…